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スリランカ洪水緊急支援 被災者が語る洪水のようす

2011年03月07日  スリランカ緊急支援
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支援のまだ届いていない地域で、物資の配付を続けています

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2月20日、アンパラ県デヒアッタカンディヤ。右は東京事務局の林早苗

難民を助ける会では、洪水に見舞われたスリランカ東部で緊急支援活動を続けています。東京事務局の五十嵐豪と林早苗は、現地団体の協力を得ながら、被災地を回り、食料や生活必需品を配付しています。2月20日にアンパラ県デヒアッタカンディヤの250世帯、翌21日にアンパラ県ウハナの250世帯、そして2月27日にはバッティカロア県エラブールの404世帯に向けて、支援物資の配付を行いました。

デヒアッタカンディヤの配付地は交通の便が悪く、これまであまり支援が届いていなかった場所です。また、エラブールは1回目の物資配付を行った場所ですが、支援を必要としている人がまだ多くいることから、今回さらに別の世帯に支援物資を渡しました。

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満面の笑顔で支援物資を受け取ってくれた被災者の女性(右)と、東京事務局の五十嵐豪。2月21日、アンパラ県ウハナ

お米と生活用品の袋を肩に担いだ男性

お米と生活用品を受け取ってうれしそうな男性。2月27日、バッティカロア県エラブール

難民を助ける会の旗の前に集まった子どもたち

子どもたちはいつもカメラが大好き。2月27日、バッティカロア県エラブール

避難キャンプで暮らすビビさん

洪水で自宅を失い、避難キャンプで暮らすフサイン・ビビさん(60歳)。「蚊が多いので眠れません。トイレや電気がないのも困ります。」

「洪水後に最初に受け取った支援でした」被災者の方に話を聞きました

2月1日に200世帯に支援物資を配付したバッティカロア県のエラブールは、2年前に終結した26年にもわたる内戦と2004年のインド洋大津波によって、地域全体が疲弊し、貧困状態にあります。2月17日、このエラブールを再度訪れ、物資を受け取った被災者の人々に話を伺いました。洪水の際はどのような状況だったのか、体験談を聞きました。

「生後5ヵ月の息子を連れて、怖い思いをしました」シッティ・ラムジヤさん(29歳)
息子を抱いて、バケツとコンロを使うシッティさん

難民を助ける会から受け取ったバケツとコンロを使うシッティさん

洪水のときには、台所からどんどん水が流れ込んできましたが、5ヵ月の息子を連れて逃げることもできず、とても怖い思いをしました。家の中は水浸しになり、水が引くまでの6日間、ベッドの上から動くことができませんでした。

難民を助ける会からの食料は、洪水の後、初めて受け取った支援だったので本当に助かりました。約10日間分の食事をまかなうことができました。

洪水前は、夫が大工の日雇い労働者として働いて収入を得ていましたが、今は仕事がありません。これからどうなるのか分からず、とても不安です。

「何よりも配付された食料がありがたかった!」カシーム・ウハウアーマさん(60歳)
カシームさんと東京事務局の林早苗

カシームさん(写真右)は、悪路の中を杖を使って歩くことに苦戦していた東京事務局の林早苗(写真中央)の手を引いてくれました

夫と子どもに先立たれ、2畳ほどの小屋に1人で住んでいます。洪水の前から、高血圧で体が思うように動かず働けないため、近所の人やモスクの助けを借りて生活していました。

洪水のときには、水位が60センチにもなり、近所の人の助けを借りて避難しました。家の中にはまだ水が残っていて、乾くまでにはあと2週間くらいかかると思います。寝るときに使うマットが洪水で濡れて使えなくなってしまったので困っています。

洪水の後は、何の支援も届いていなかったので、難民を助ける会が配付してくれた物資は本当に助かりました。心から感謝しています。難民を助ける会に神のご加護がありますように。

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※この活動は、皆さまからのあたたかいご寄付と、ジャパン・プラットフォームの助成を受けて行っています。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 林 早苗

2010年6月より東京事務局で主にミャンマー(ビルマ)事業を担当。大学卒業後、民間企業に勤務。その後、英国の大学院で人類学を学び、国際機関勤務などを経て難民を助ける会へ。2010年12月よりミャンマーサイクロン「ギリ」の緊急支援に従事。2011年1月からのスリランカ洪水支援に従事。(栃木県出身)

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