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【東北関東大震災(7)】身体障害者更生施設「静和園」で物資を配付しました

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難民を助ける会では、東北関東大震災で被災された方々を支援するため、緊急支援チーム6名が被災地で支援活動を行っています。16日は、福島県との県境に位置する宮城県山元町の身体障害者更生施設である静和園で物資の配付を行いました。
被災地で活動を行う職員の山浦遼(宮城県仙台市出身)からの報告です。

変わり果てたふるさと

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海岸から1キロほどの距離にある山元町の住宅。津波で無残な姿と変わり果ててしまいました

難民を助ける会が拠点とする仙台市から山元町へは、仙台南部高速道路を使って行きました。高速道路は、海岸から5キロメートルほどの距離を海岸線と平行に走っていますが、道路から海岸側では多くの場所でまだ津波の水が残り、車が浮いたままになっていました。また、高速道路の内陸側にさえ水が残っている場所もあり、改めて津波のすさまじさを感じました。

仙台市出身の私にとって、この津波は未だに信じられず、ただただ海岸地域に住む友人たちの無事を祈るばかりです。

備蓄食料が尽きかけていた

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物資を運び出す難民を助ける会の石橋周一(写真右)

私たちが到着したとき、静和園では普段備蓄されている3日分の食糧が尽き始め、50名の入居者と7名のスタッフの方々が今後を必死に思案されていたところでした。その状況を聞き、すぐに食料、水、衛生用品や防寒用品を施設の中に運び込みました。

静和園園長の門馬由紀子さんは、ご自身も震災で家が流された被災者でした。それでも入居されている方々のため、震災後も施設で指揮を執り続けられています。難民を助ける会の支援物資を受け取ったとき、園長からは何度も「ありがとう」と感謝の気持ちをいただきました。

希望の灯がともった

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電気のついた瞬間、抱き合う静和園スタッフの皆さん(写真中央は園長の門馬由紀子さん)

ちょうど物資の運び込みが終わったときです。震災以来ずっと電気が止まっていた静和園に、6日ぶりに明かりが灯りました。誰かの、「あれ、非常灯が点いているよ。」の気づきから、あっという間に静和園に広がった感動の輪。それまでの不便や、不安は、想像をはるかに絶するものがあったと思います。スタッフの方は涙を流しながら抱き合っていました。本当はたくさんのつらい思いがあるはずなのに、「今日は電気も来て、こんなふうに物資を持ってきてくれる人もいて、本当に助かった」と言っていただき、今後もさらに迅速な支援活動を続けていかなくては、との思いを強くしました。

みんなが今できることを精一杯やっている

帰りの道では、凄惨な状況の中、何とか道が通れるように瓦礫を除去している作業員の方がいました。また、夜を徹して走り続けるトラックや道路工事の現場を多く目にしました。

大勢の人たちが、今できることを精一杯やっています。難民を助ける会の緊急支援チームも、支援を待っている人たちのために心を一つにして、支援を行ってまいります。
引き続き皆さまのあたたかいご支援、どうぞよろしくお願いいたします。

※支援活動にあたっては、企業や団体、学校、個人の皆さまよりご寄付や物資のご提供などのご協力をいただいて行っております。すべての方々をご紹介することができませんが、何卒ご容赦ください。また、ジャパン・プラットフォーム(JPF)からの助成も受けています。皆さまのあたたかいご協力に心より感謝申し上げます。

緊急募金にご協力ください

皆さまのお気持ちを、被災された方々に確実にお届けします。どうぞご協力をお願いいたします。

郵便振替: 00100-9-600 加入者名: 難民を助ける会
*通信欄に「東北関東大震災」とご記入ください。*領収証が必要な方はその旨お書きください。

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【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 山浦 遼

2009年1月よりスーダン北部のカドグリ事務所駐在。教育大学で教員免許を取得。卒業後、青年海外協力隊の小学校教諭としてウガンダに赴任。帰国後難民を助ける会へ(宮城県出身)

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