東北関東大震災(11):宮城県や企業との連携により支援物資を配付しました
県と企業とNGOの協力で広がる可能性
難民を助ける会は、東北関東大震災の被災者支援のため、緊急支援チーム7名を派遣しています。
3月19日、宮城県女川町立第二小学校にて支援物資の配布を行いました。
ここには、小学校の校舎と体育館に合わせて約1,500人が避難しています。宮城県災害対策本部から、この避難所でおむつや下着などの生活用品が非常に不足していると連絡を受け、配付に向かいました。配付する物資の調達と仮倉庫のある仙台までの輸送は、mont-bell(モンベル社)の協力によって可能となりました。
行政の災害対策本部、NGOなどの市民団体、企業の連携が課題と言われる中、緊密な連携により被災された方々への物資配付が行われました。
おむつ7,200枚、下着200着などの生活用品を配付
到着すると直ちに物資の引き渡しを行いました。車から物資を運び出す際には、避難所のボランティアや自衛隊の皆さんが手伝ってくださいました。配付したのは、おむつ7,200枚、女性用衛生用品6,400個、女性下着200着、消毒液40本、歯ブラシ1,000本、毛布50枚、ミルク缶6缶、食品用ラップフィルム3,000メートル分などです。
この避難所では、生活用品が非常に不足しており、特におむつは小さい子どもを抱えたお母さんたちが、本当に困っている様子でした。毎日の生活で必要になる消耗品は、継続した支援が必要だと女川町の災害対策本部の方は話していました。。
また、被災から一週間。山沿いにはうっすら雪も見えています。避難している方々は、毛布だけでは寒さを凌げず、寒さで体調を崩す人が増えている、と心配そうに話していました。
流されてしまった思い出の品々と、行方の分からぬかけがえのない人々
女川町を車で走っていると、自分の目を疑うような光景に何度も出会いました。道の両脇は、瓦礫の山がただただ続いていて、その瓦礫の山が止まりません。海岸から数百メートルのところには、分解された列車が横たわり、家の上に家が重なり、粉々になった家財や思い出の品々が散らばっていました。
道には、「○○○○(○○歳)と○○○○(○ヵ月)を探しています。」と書かれた段ボール箱の切れ端を、首からさげながら歩いている人がいました。
なんてむごいのだろう。被災者の方々のことを思うと、やり場のない思いが込み上げてくると同時に、これからやらなければならないことを考えました。
とにかく迅速に物資を被災者へ
これまで私はミャンマー(ビルマ)、パキスタン、インドネシアなどの災害支援に携わってきましたが、この東北関東大震災は、その被害の甚大さから、また、自分が育ってきた場所の近隣の地域であることから、違う意味を持っています。当面の間必要なのは、あらゆる物資を、迅速に被災された方々のもとに届けることです。
そのためには、国、県、市の災害対策本部や関連部署、そして企業や市民団体が、調査結果、活動内容や被害状況や課題を共有し、同じテーブルの上で改善案を協議し、直ちに遂行する必要があると考えます。
難民を助ける会は、これからも、被災地、特に支援の届きにくい地域での活動を全力で続けていきます。被災者のこれからを、どうか一緒に支えてください。皆さまのあたたかいご協力をよろしくお願いいたします。
※支援活動にあたっては、企業や団体、学校、個人の皆さまよりご寄付や物資のご提供などのご協力をいただいて行っております。すべての方々をご紹介することができませんが、何卒ご容赦ください。また、ジャパン・プラットフォーム(JPF)からの助成も受けています。皆さまのあたたかいご協力に心より感謝申し上げます。
緊急募金にご協力ください
皆さまのお気持ちを、被災された方々に確実にお届けします。どうぞご協力をお願いいたします。
郵便振替: 00100-9-600 加入者名: 難民を助ける会
*通信欄に「東北関東地震」とご記入ください。*領収証が必要な方はその旨お書きください。
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【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 野際 紗綾子
難民を助ける会シニアプログラム・コーディネーター 2005年4月より東京事務局で主にミャンマー(ビルマ)等アジア事業を担当。2008年ミャンマーサイクロン、2009年スマトラ沖大地震、2010年パキスタン洪水等多数の緊急支援活動に従事。34歳(東京都出身)