東日本大震災(28):離島で復興を待つ被災者の方々へ、支援を届ける
破壊尽くされた港で「待ちに待っていたよ」
宮城県の石巻港からフェリーで2時間弱の距離に網地島(あじしま)はあります。
500名ほどが暮らす小さな島。島民のほとんどが高齢者で、子どもは数えるほどです。東北随一といわれる高い透明度を誇る海では、素人でも素潜りでウニやアワビが取れるほど魚介が豊富です。もちろん、漁業が島の主な産業となります。
網地島は沖合いに位置し、威力が大きくなる前の津波に襲われたため、本島よりは被害が小さかったと言われますが、実際に行ってみると港は壊滅状態でした。待合所に乗り上げてしまった民家。高台への階段をふさぐ乗用車。無残に転がる銅像。どれもが片付けられることもなく、なすすべなく放置されていました。もちろん、港の小型漁船はほとんど破壊されていました。
自衛隊のヘリによる物資は届いているものの、十分には足りていません。
要望が寄せられたのは、米と水と電池。
網地島へは本島から海底を通って水道が引かれていましたが、地震によりやられてしまったため、島には飲水がありません。井戸水はありますがあくまで生活用水で、衛生的ではありません。当然、配布されるミネラルウォーター頼みになり、少しでも配布が滞れば気兼ねなく水を飲むこともできなくなります。また、電気も朝と夕方の5時間ずつ以外は供給されないため、乾電池は必需品です。
「個人や企業の皆さまからのお気持ちを届けに来ました」
4月2日にフェリーに積んで届けたのは、水4トン、乾電池を段ボール24箱分、みかん、女性用衛生用品、下着類など。フェリーから降りた私を6台近くの軽トラックが待っていました。出迎えてくれた島民の一人の方が頭を下げて「この度はありがとうございます」と両手で握手を求めてきました。恐縮しながら、私が提供しているわけではなく、個人、企業からのご寄付、ご支援なのでと伝えると、そんなにたくさんの人が支援してくれているのかと目を丸くして驚いていました。用意した軽トラックにも乗り切らないほどの物資に、「こりゃあ1年分だ」とうれしそうに冗談を言う方もいらっしゃいました。
私が乾電池を積み込んでいると、「単一電池が欲しかったんだ。みんな待ちに待っていたよ」と言われました。懐中電灯を使うためにも乾電池が必要なのです。電気のない生活がどんなに苦しくストレスのたまるものか、私には想像もできないほどで、届けることができて本当によかったです。
NGOだからこそできる支援をこれからも
破壊された家の裏で網を片付けている男性がいました。「もうじき自衛隊が来るらしいから、片付けている」と言います。家や車は自衛隊でなければ容易に動かせないので、自分で片付けられるものだけはやっておこうということなのかもしれません。自治体や政府の支援も本島から入ってきてはいますが、十分ではありません。だからこそ、私たちのようなNGOができるだけのことをやるべきだとあらためて思いました。
帰り際、すれ違った島の少年二人が、「俺たちこれからどうなるんだろうな」とつぶやいているのが聞こえました。
私はこの仕事をしている以上、そういった声に正面から向き合わなくてはならないと思いました。
※支援活動にあたっては、企業や団体、学校、個人の皆さまよりご寄付や物資のご提供などのご協力をいただいて行っております。すべての方々をご紹介することができませんが、何卒ご容赦ください。皆さまのあたたかいご協力に心より感謝申し上げます。
緊急募金にご協力ください
皆さまのお気持ちを、被災された方々に確実にお届けします。どうぞご協力をお願いいたします。
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【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 小林 通孝
2010年より東京事務局にて勤務。大学卒業後、新聞社、広告会社で営業・編集・広告制作に従事。スリランカ緊急支援(2011年)も担当。34歳(東京都出身) .