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東日本大震災(48):コンテナハウスで被災地の方々に一日も早い生活空間を

2011年05月13日  日本緊急支援
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コンテナハウス設置にご協力くださったボランティアの方々と。前列中央は難民を助ける会事務局長の堀江良彰(写真提供:菅原出、宮城県女川町、2011年5月10日)

被災地では、いまでも避難所での不自由な生活を強いられている方が多くいます。長引く集団生活によるストレスや精神的な疲労が健康にも影響を及ぼし始めていますが、仮設住宅の供給はまだまだ間に合っていません。
そこで難民を助ける会では、国際ジャーナリストの菅原出氏を発起人として、組み立て式で設置の容易なコンテナハウスを被災地に送るプロジェクトを開始しました。
このたび5月10日に宮城県牡鹿郡女川町にて、長引く避難所生活を送る被災者の方々のためにコンテナハウス6棟を設置しました。今後、女川町にあと24棟設置するほか、その他の地域でも設置していく予定です。
 
プロジェクトの発起人である菅原出氏からの、5月10日の女川町での設置の報告です。

震災当日とほぼ同じ状況だった指ケ浜地区

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設置場所の指ケ浜地区は、いまだ震災直後のような状態に取り残されていた(写真提供:菅原出、2011年5月10日、宮城県女川町)

5月10日、宮城県女川町の中心部から数キロ北上した沿岸部の小さな集落にある「指ケ浜かっぱ農場避難所」とその裏にある民家に、コンテナハウスをそれぞれ4棟と2棟設置した。
女川町は宮城県沿岸部の被災地の中でも特に被害がひどく、町の8割近くが壊滅的な打撃を受けたところである。高台が少なく仮設住宅を建設する用地がないことで、テレビなどでも報じられている町だ。今回コンテナハウスを設置した指ケ浜地区は、その女川町の中でも特に被害がひどく、しかも町の中心から離れているため行政からの支援が行き届いていない地域だった。実際現場を訪れて驚いた。もう震災発生から2カ月が経とうというのに、瓦礫の撤去から道路の修復まで、ほとんど一切進んでおらず、震災当日とほぼ同じ状態のままといっても過言ではない状況だったからである。
沿岸部を走る狭い国道沿いの道から、舗装されていない農道を山側に入っていくと、瓦礫の山の奥の高台に民家があり、そこが避難所になっていた。必ずしも広いとはいえない一軒家で、現在4家族が避難生活を続けていた。もちろん、水道も電気もまだ復旧していない。その小さな避難所の手前の空き地が、コンテナハウスの設置場所となっていた。

たくさんの「想いの詰まった」コンテナハウス

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コンテナハウスは中国とイタリアから輸送。紛争地などでも使用されるほど強度が高く、過酷な環境にも耐えうる規格(2011年5月10日、宮城県女川町)

設置にあたっては、事前に大崎八幡宮という仙台にある国宝神社の方々が仮に組み立てて、手順や設備の確認をし、輸送の際に破損した部分は板金屋の「竹林舎」の方々が見事な職人技で直してくださった。
また10日、11日の設置当日には、東北グレーダーという仙台のプレハブ会社から4名、大崎八幡宮の小野目宮司と神社の職員6名、難民を助ける会の堀江事務局長、福岡の広告代理店ゼンプロの2名、小西美術工藝社の成田氏、私の友人で米空軍のディラン・モナハンさんなど、総勢15名以上が、ボランティアとして参加してくださった。

避難所の方々は、最初のうちは興味深そうに遠くから見ているだけだったが、後半はパネルについたビニールカバーを外す作業などを手伝ってくれるようになった。その一人に「このコンテナハウスどうでしょうか?」と恐る恐る尋ねてみた。正直言って、どんな反応があるか、少し怖かった。

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「プライバシーのある空間が確保されるのでとてもうれしいです。2カ月間他人と一緒なのはやはり気を遣います」と家族5人で避難生活を送る鈴木さん。完成したコンテナハウスで(2011年5月10日、宮城県女川町)

「思ったより広くてしっかりしているね。ただの箱のようなものがくるのかと思っていたから」「今、 避難所には4家族が暮らしている。もうそれこそプライバシーなんか一切ないし、そんなこと気にしたこともなかった。皆、昔から知っている間柄だから。それでも、こんな集団生活が2カ月も続くと、精神的にも疲れてくる。家族だけで話し合う場所さえ一切なかったから。こういう家族だけで寝る場所があるだけで ありがたい」

涙が出そうになった。本当は政府の仮設住宅のようにもっと広く、すべて完備されたものがあればいいに決まっている。しかし、そうした政府の支援がなかなか行き届かない中で、何とか一日でも早く被災者の方々の精神的な負担を和らげるために、コンテナハウスを贈るプロジェクトを開始したのだった。

 

数多くの障害を乗り越え、苦労を重ねて、たくさんの方々の支援を受けて、皆の「想いの詰まった」コンテナハウスの第一号を設置することができた。そしてこのコンテナハウスが実際に被災者の役に立つのだということも肌で感じることができた。
女川町にはまだあと24棟設置することになっている。また南三陸町や石巻市からも設置要請が入っている。
プロジェクトはまだ始まったばかりだ。これからも、一刻も早く、一棟でも多く、被災地にコンテナハウスを設置して、復興に役立ててもらえるよう努力を続けていきたい。皆様の変わらぬご支援をお願いしたい。

 

※本プロジェクトの実施にあたっては、ゴールドマン・サックス証券株式会社およびゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社より、30棟分に相当する約2,400万円のご寄付をいただきました。

今後も広く募金を呼びかけ、ひとりでも多くの被災者の方に少しでも快適で安全な空間で過ごしていただけるよう、支援を行ってまいります。ぜひご支援をお願いいたします。

【コンテナハウス・プロジェクト支援 専用口座】

■銀行
三井住友銀行 目黒支店 普通預金口座 7030268
特定非営利活動法人 難民を助ける会

■郵便局
00100-9-600
特定非営利活動法人 難民を助ける会
※「東日本大震災・仮設住宅」と明記下さい

 

※支援活動にあたっては、企業や団体、学校、個人の皆さまよりご寄付や物資のご提供などのご協力をいただいて行っております。すべての方々をご紹介することができませんが、何卒ご容赦ください。皆さまのあたたかいご協力に心より感謝申し上げます。

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【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

 菅原 出(すがわら いずる)

国際政治アナリスト・国際ジャーナリスト。1969年東京都生まれ、中央大学法学部政治学科卒業後、アムステルダム大学政治社会学部国際関係学科修士課程を終了し、修士号(M.A.)を取得。その後、フリーランスのジャーナリストとして、雑誌に執筆するなど国際情勢に関する著書も多数。 「折りたたみ式コンテナ」は輸送が容易で、数時間で組み立てる事が可能。政府が建設する仮設住宅が出来るまでの間、1日でも早く、一時避難中の被災者の方々に、安心できる空間を提供したい想いからコンテナハウスプロジェクトを立ち上げる。海外でのコンテナ調達から輸入まで、自らの手で積極的に活動を進めている。

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