活動ニュース

ラオス 車いす工房の運営を国立リハビリテーションセンターに移管しました

2011年06月01日  ラオス障がい者支援
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これからはラオス人自身の手で運営していきます

ラオス車いす事業終了式典の様子

終了式典には、ラオス政府やJICAラオス関係者、車いす工房の職員、難民を助ける会の駐在員の岡山典靖(前列右端)、福岡幹彦(後列左端)、常任理事の高橋敬子(中央左から4人目)、東京事務局の太田夢香(同2人目)が参加しました

難民を助ける会では、国際協力機構(JICA)と連携し、2000年より首都ビエンチャンの国立リハビリテーションセンター(NRC)内にある、国内唯一の車いす工房を支援してきました。支援開始当時、生産台数は年に数台ほど。難民を助ける会は、同工房の製造・配付能力の強化に努めてきました。利用者それぞれの障害に合った車いすをつくるため、理学療法士や作業療法士も派遣。車いすだけでなく、長距離移動が可能な手こぎ三輪車の製造・配付も実施しました。また、各県の病院と連携し、遠方への配付も可能になりました。現在では、年間約500台を製造し、全国各地へ届けています。

工房で働いてきた障害者を含むラオス人職員は、難民を助ける会がこれまで指導してきた技術を習得しました。難民を助ける会の支援がなくても運営を続けていけるよう、2011年5月のハンドオーバーを目標に活動してまいりました。このたび引き継ぎが可能と判断し、2011年5月末を持って支援を終了しました。事業の終わりに車いす工房長は、「今後は自分たちが責任を持って車いす事業を担っていきます」と抱負を語りました。

5月16日、支援の終了式典が開催され、ラオス保健省のバンナレ氏は、「ラオスには車いす工房が一つしかない。これまで11年にもおよぶ難民を助ける会の支援に大変感謝している。今後もこの車いす工房が運営できるよう、NRCと協力していきたい」と述べました。
これまでラオスでの車いす事業をご支援くださった皆さまに、心より感謝申し上げます。

「ラオス人たちのこれからの挑戦を応援していきたい」ラオス事務所駐在・岡山典靖
ラオス人スタッフと車いす製造に励む岡山典靖

ラオス人スタッフと車いす製造に励みました(左は岡山典靖)

難民を助ける会では、2000年12月から約11年にわたり、ラオス人のパートナーたちとともに、ラオスの障害者の方々へ合計3,000台以上の車いすを提供してきました。その中で私は駐在員として2004年6月からちょうど7年間本事業に携わりました。
順風満帆には行かなかったことも多々ありました。「良い車いすが早く欲しい」と切実に願う障害者の方たちに対し、あくせく働くことなくのんびりとした雰囲気のラオス人の同僚たち。このギャップをどう埋めるかが、一番の挑戦だったように思います。そのためにはラオス人たちとの日々の付き合い、関係づくりが何より大切でした。
ラオス人たちだけで車いす工房をこれからどう担っていくか、彼らの挑戦を応援していきたいと思います。

「今後の行く末を見守りたい」ラオス事務所駐在・福岡幹彦(作業療法士)
ラオスの障害児に車いすを届ける福岡幹彦

生まれつき四肢が欠損しているクントンさん(9歳)へ車いすを届けた福岡幹彦(左)クントンさんはおかげで学校へも行けるようになりました(撮影:高橋智史)

約11年にわたる車いす支援事業、そして私にとっては2年7ヵ月のラオス駐在が終わりました。今、在任中にいただいた名刺や写真を見ていると、懐かしさに自然と顔がほころびます。そしてこの事業が多くの人々に支えられてきたことを実感します。
事業を行っている間は、車いす製造の中心であるラオス人とのやり取りに、お互い多大なるエネルギーを費やしました。その甲斐あって、最後には理解と結果を残すことができました。事業は引き継ぎましたが、ラオス人による車いす工房運営は今始まったばかりです。今後はたくさんの思いがつまった車いす工房の行く末を、遠くから見守っていきたいと思っています。

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