東日本大震災(53):おいしい食事をどうぞ!炊き出しを実施しました
難民を助ける会は4月30日から5月7日まで、宮城県石巻市の清優館と、岩手県山田町の大沢ふるさとセンター、大沢小学校、山田町役場で、炊き出しを行いました。清優館での炊き出しに参加した加藤亜季子の報告です。
牡鹿半島の避難所で食事を8日間提供
牡鹿半島の鮎川にある清優館は、もともと障害者・高齢者のための通所施設でした。震災後は避難所として使われており、現在は約140名ほどが暮らしています。難民を助ける会は、ゴールデンウィークの間、ここで皆さまの昼食と夕食を提供しました。
今回の炊き出しには、難民を助ける会の職員とボランティア合わせて、連日20名ほどが参加しました。参加者は毎朝6時に仙台市と大和町の宿泊場所を出発。車にはその日の炊き出しに使う食材を満載しています。牡鹿半島の南端にある鮎川に到着するのは朝9時ごろ。清優館の担当の方とその日の予定について打ち合わせをして、さっそく昼食の準備に取り掛かります。
「おいしかったよ」の声を聞くために
難民を助ける会の職員とボランティアは、主食担当、おかず担当など役割を分担し、おいしい食事を時間通りに出せるよう、調理を進めます。手際良く準備するにはいろいろと苦労もありましたが、食べていただいた皆さまに、「今日のはおいしかったよ」「毎日いろんな料理がでるから、明日が楽しみだ」と言っていただくことができました。
これまでは、清優館に避難されている方々が自分で毎日の食事を準備されていました。難民を助ける会が今回炊き出しをしたことで、担当の方には久しぶりにお休みを取っていただくことができたようです。
避難所の生活を少しでも快適に
今回の炊き出しの期間中は、食事の提供だけをしていたわけではありませんでした。トイレ掃除や草むしり、子どもたちと遊んだり、宿題を教えたり、といった活動も、避難所で少しでも快適に過ごしていただくためにとても重要です。野球チームに入っていたけれど最近は野球をしていないという男の子は、ボランティアとキャッチボールをして「久しぶりだ」と喜んでいました。
最終日、清優館の方から「来てくれて本当にありがとう。また来てください。」と言っていただきました。子どもたちも仲良くなった職員やボランティアとの別れを惜しんでいました。短い期間でしたが、皆さまに喜んでいただけてなによりでした。
毎日のごはんの準備を通じて、参加した私たちも避難所生活の苦労や子どもたちの気持ちを肌で感じることができました。難民を助ける会では今後も各地で炊き出しを検討しています。これからも、おいしい食事で皆さまに笑顔を届けられればと思います。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 加藤亜季子
2010年4月より東京事務局で主にハイチ事業とザンビア事業を担当。大学卒業後、民間企業に勤務。英国の大学院で社会開発を学び、政府系研究機関、在外公館勤務を経て難民を助ける会へ。(東京都出身)