ミャンマー(ビルマ):サイクロン緊急支援の現場から
2008年5月、ミャンマー(ビルマ)をサイクロン「ナルギス」が襲った際には、皆さまからたくさんのご寄付をいただきました。被災者に届けられた支援物資には、たくさんの人の願いが込められています。2010年8月末に終了した支援活動に最後まで携わった、元駐在員の久保田和美から、皆さまへ感謝をこめて報告します。
サイクロンから1年後。被災地ではまだ厳しい生活が続いていた
私がミャンマー(ビルマ)に赴任したのは2009年8月。甚大な被害をもたらしたサイクロン「ナルギス」の発生から約1年後です。本来なら収穫直後の時期であるにもかかわらず、ミャンマー南部デルタ地帯の被災地の村人たちは、収穫物もなくその日暮らしの状態。水田は塩害に遭い、漁業道具、家畜などの生計手段は流され、高利貸しの借金から抜け出せない人が大勢いました。そこで難民を助ける会は、生活を立て直すための生計支援を実施。水田が被害を受けた農民には塩害に強い肥料や種もみを、漁業道具を流された漁師には漁業道具を、主に日雇い労働で生計を立ててきた世帯に対しては収入源となる家畜を支給しました。
難民を助ける会が復興支援として行ったのは、生計を立て直すのに必要な道具や資材、家畜を支給するという、一見、単純に思われがちな活動です。しかし、その活動の成果を出すことは容易ではありません。要となったのは、やはり「人」です。難民を助ける会では、配付するものが、少しでも被災された方々の助けになって欲しいという願いを込めて、丁寧に支援を行いました。
配付するだけではただのモノ。しかし・・・
ミャンマーでは、注文したものよりも質の低いものが届くということが頻繁にあります。私たちスタッフは、毎回店に出向き、皆で毎晩夜遅くまで、漁網や種もみの質を一つひとつ確認しました。自信を持って被災者に届けるための努力を惜しみませんでした。外国人も混ざって夜遅くに店先で漁網や種もみを広げて確認作業に精を出す私たちの姿に、商品を卸してくれた業者も、他のNGOの職員も驚き、見学者まで出たほどです。その様子を見ていた業者はその後、確実に品質の良い商品を卸してくれるようになりました。
資材も道具も、配付するだけではただのモノに過ぎません。それを活かすか、無駄にするかは受け取る人次第です。難民を助ける会が物資を届けた被災者の方々は、一生懸命その支援を活かそうと、技術を教え合ったり、道具を共同利用して収穫を上げる努力をしました。活動の一番大きな成果は、受益者が「支援を受ける被災者」から、「受けた支援を使って生計を再建する主役」に変わったことだと思います。
難民を助ける会の活動が、被災した方々の生活すべてを立て直すことができたわけではありません。しかし、一つひとつの緊急支援物資や、漁網、種もみには、日本でご寄付をくださる皆さまをはじめ、ミャンマー人スタッフなど多くの人たちの思いが込められています。その思いは、確実に被災した方々に届き、難民を助ける会が届けたものは、彼らが前向きに一歩を踏み出すための力として活かされていると確信しています。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
元ミャンマー(ビルマ)事務所駐在 久保田 和美
2009年8月よりミャンマー(ビルマ)駐在。イギリスの大学院で開発学と教育学を学んだ後、在外公館にて勤務。その後、難民を助ける会へ。(東京都出身)