東日本大震災(65):商店街復興の第一歩~女川町にコンテナ村商店街誕生
7月1日、ついにコンテナ村商店街がオープン!
難民を助ける会では住居や店舗などとして使える組み立て式のコンテナハウスを提供しています。これまで宮城県牡鹿郡女川町に、26棟を設置しました。
女川町の商店街はもともと海岸に近い場所に位置しており、津波で壊滅してしまいました。それ以来ずっと、この町の中で買い物ができる場所はコンビニと小さな商店の2軒だけ。そこで、女川町商工会青年部の方々の、「コンテナハウスを活用して商店街を復活させたい」という声にお応えし、6月7日・8日に女川町の鷲神浜に10棟のコンテナハウスを設置しました。そのうち8棟をお店として、2棟を住居として活用します。
7月1日、ついに新しい商店街がオープンしました。その名も「おながわコンテナ村商店街」。果物や野菜を扱う青果店、冷凍のお肉やお魚を売るお店、お花屋さん、お惣菜屋さん、電器屋さんなど、7店舗が入っています。これから毎日、朝9時から夕方6時まで営業です。
ここを笑顔の拠点に
およそ幅6メートル、奥ゆき2メートルほどのコンパクトなコンテナハウスを使って、中にびっしりと商品を並べているお店もあれば、お惣菜屋さんは中が調理スペース、販売は外に張った青いテントの下で行っています。どのお店も、朝早くからお買い物に訪れた近所の方々で賑わいました。
青果店でメロンを買っていた70代の女性は、近所の避難先から歩いていらしたと言います。「車が流されてしまって、これまではバスでスーパーまで行かなくてはならず、とても大変でした。すぐ近くに商店街ができて助かります。本当にありがとうございます」と、満面の笑みを見せてくださいました。
冷凍の肉や魚を販売するコンテナハウスの中は、買い物客でいっぱいです。「冷蔵庫がないので、お刺身やお豆腐などはなかなか食べられなかったんですよ。夕飯の前にまた買いに来るわ」とおっしゃるのは、近くで避難生活を送る2人暮らしの60代の女性。冷蔵庫だけでなく洗濯機もなく、仮設住宅にもまだ当たらないため、先行きの見えない日々がずっと続いているそうです。隣のコンテナから漂う揚げ物のいいにおいに、「あら、揚げ物もあるのね! お惣菜屋さんは便利だわ」と声をはずませて店の中をのぞきこむと、「○○さんじゃないの!」。懐かしい同級生の顔を見つけ、さらに笑顔が広がりました。
「この商店街が笑顔の拠点になれば」。商店街復興のために力を注いできた商工会青年部の阿部さんがそうおっしゃる通り、この場所から笑顔が次々と生まれていました。
この笑顔の拠点を必要としているところは、被災地にまだまだたくさんあります。消防署の仮庁舎として、福祉施設として、集会場として、コンテナハウスを必要とするたくさんの声が難民を助ける会に届いています。どうかひとつでも多くコンテナハウスをご提供できるよう、引き続き皆さまのご協力をよろしくお願いいたします。
※本プロジェクトの実施にあたっては、ゴールドマン・サックス証券株式会社およびゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社より、30棟分に相当する約2,400万円のご寄付をいただきました。
今後も広く募金を呼びかけ、ひとりでも多くの被災者の方に少しでも快適で安全な空間で過ごしていただけるよう、支援を行ってまいります。ぜひご支援をお願いいたします。 【コンテナハウス・プロジェクト支援 専用口座】 ■銀行
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※支援活動にあたっては、企業や団体、学校、個人の皆さまよりご寄付や物資のご提供などのご協力をいただいて行っております。すべての方々をご紹介することができませんが、何卒ご容赦ください。皆さまのあたたかいご協力に心より感謝申し上げます。
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【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 山田かおり
2007年11月より東京事務局の広報・支援者担当。国内のNGOに約8年勤務後、難民を助ける会へ。