東日本大震災(73):福島県南相馬市の給食を支援しました
震災後の南相馬市で給食の食材調達が困難に
福島第一原子力発電所の事故により、福島県南相馬市では、原発から30キロ圏内の小中学校は再開の目処が経っていません。原町区、小高区の小中学校に通っていた児童・生徒は、同市の30km圏外にある南相馬市鹿島区の学校(小学校3校、中学校1校)へバスで通っています。
震災後、南相馬市の学校給食は、臨時的に支援物資を利用して、以前よりも少ない予算で鹿島区の給食センターに給食提供を依頼せざるをえない状況でした(2011年7月時点で1食当たり200円)。6月末までは支援物資として南相馬市に届いたお米の一部を学校給食に利用していましたが、それも底をつき、予算不足のため新たにお米を購入することもできませんでした。また、原発事故の影響で地元産の野菜の調達が難しくなり、他県産の野菜を購入する予算もありませんでした。そのため、野菜などの食材とお米が不足し、増えた児童・生徒に栄養ある給食メニューを提供していくことが難しくなっていました。
野菜ジュースとお米の支援を実施
難民を助ける会は南相馬市の教育委員会からこうした状況を聞き、7月1日から22日の給食に使う分の「お米」2トンと、栄養が手軽にとれる「野菜ジュース」16,802個(週2回分)を提供しました。野菜ジュースは小中学生でも飲みやすくかつ必要な栄養素がとれるものを選んで届けました。
鹿島区の学校では児童・生徒が急増したため教室が足りなくなり、体育館に間仕切りをして作った狭い教室で授業をしている学校もあります。そこで一生懸命勉強する児童・生徒たちは、楽しみにしている昼食の時間に、継続してお米のご飯が食べられること、美味しい野菜ジュースが飲めることを喜んでくれました。
今後は保護者からの給食費を徴収できる見込みとなったため、南相馬市への給食支援は7月22日で終了しましたが、2学期は8月25日から9月24日までの期間に給食車輌の貸し出しをする予定です。また、今後も福島県の被災者への日用品配付などを引き続き行ってまいります。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 高城大吾
2011年より東京事務局勤務。大学卒業後、民間企業企業勤務、イギリス大学院留学を経て、難民を助ける会へ。