東日本大震災:巡回診療・保健活動を地域の医療機関へ引き継ぎました
被災地の在宅避難者を支え続けた半年間
難民を助ける会では、東日本大震災後の3月19日より、宮城県石巻市牡鹿半島の中で、特に在宅避難者の多い牧浜、竹浜、狐崎浜、鹿立、福貴浦、小積浜、小淵浜の各地区の住人約640人を対象に医療支援を開始。地元で以前から開業していた安田敏明医師のもと、看護師の永井萌子と関井瑞穂の3名が中心となる医療チームを結成し、巡回診療と、慢性疾患の診察や感染症の予防、精神的なサポートなどの保健活動を続け、9月18日までに、のべ817名を診療・訪問しました。また、8月10日から9月15日は行政からの依頼を受け、避難所から仮設住宅へ移動した方々を対象に世帯調査を実施。仮設住宅の入居後の健康状態などについて伺い、介護が必要な方へは適切なサービスが受けられるよう支援しました。活動にあたっては、行政と綿密に連絡を取り合い、また同じ地区内で活動する他の医療チームと対象地域が重複しないよう調整を行いました。
これらの活動は、同地の医療機関の機能が回復したため、9月30日をもって活動を終了しました。以下は、医療チームの関井瑞穂からの報告です。
地元の医療機関が回復しない中、被災者の健康管理のために活動
この半年間の巡回診療・保健活動を通し、牡鹿半島の人々の生活の移り変わりを見てきました。
医療活動開始当初はまだ気候も寒く、避難所の狭いスペースで生活していたことで体調を崩される方も多くおられました。それに加え、医療機関への交通手段がなかったり、医療機関が再開していないことから受診できないケースも多くありました。そのような状況の中で、難民を助ける会医療チームの安田医師の診察により、本当にたくさんの人々を安心させることができました。
6~7月ごろには交通機関や医療機関が再開し、被災者の多くは自分で以前の病院に行くことができるようになりました。それでも交通の便が悪く離れた地域の方々にとっては、必要なときに受診することが難しいケースもありました。そうした方々へは私たち医療チームが巡回訪問し、きめ細かく対応しました。9月には、交通の便が悪かった地域でも仮設診療所が開始され、震災前に同地域の医療に携わっていた医師も戻られたため、難民を助ける会の活動は終了することになりました。当会の活動は、地元の医療が元に戻るまでの「医療の空白」の期間を埋める役割を果たすことができました。
訪問先の笑顔に、逆に励まされました
診察だけでなく、患者の皆さんのお話を伺うことも医療チームの大事な活動のひとつです。こうした活動の中で、被災者の方々の精神的な部分の変化も感じ取ることができました。
活動当初は震災時の辛く厳しい体験を涙ながらに話され、なかなか気持ちの整理がつかないご様子だった方々も、現在では表情も落ち着かれ、「前を向いていくしかしょうがないと思う」という発言が聞かれるようになりました。あれだけの苦しい体験、厳しい生活を経てそのように感じることができるようになった方々を間近に見て、牡鹿の人々の強さを実感しました。また、皆さんは精神的にも肉体的にも大きなストレスを抱えているにも関わらず、私たちが訪問するといつも感謝され、とても丁寧に迎えてくださり、心を打たれました。
巡回診療・保健活動はその役目を終えて終了しましたが、被災者の方々は、住む場所や生計手段など、未だに先の見えない不安や、仮設住宅など新しい環境によるストレスなどを抱えながら生活を続けられています。
難民を助ける会では引き続き、越冬対策やリハビリテーション、心のケア、地域交流イベントなどの「地域みんなで元気になろう」プロジェクトを継続し、被災地の方々が心身ともに健康を回復できるよう、活動を継続してまいります。皆さまのご協力に心から感謝申し上げますとともに、引き続きあたたかいご支援をお願い申し上げます。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
医療チーム(看護師) 関井 瑞穂
看護専門学校を卒業後、6年間看護師として病院で勤務。2011年4月から9月まで難民を助ける会が東日本大震災の被災地で行う医療活動に従事。(茨城県出身)