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トルコ地震:緊急支援チームが被災地入り

2011年10月31日  トルコ緊急支援
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10月23日にトルコ東部で発生したマグニチュード7.2の地震。30日のトルコ政府の発表では、死者数が600人を超えました。難民を助ける会の3名の緊急支援チームは26日にトルコに到着し、現在は各地で被災状況の調査を進めています。被害の大きかったエルジシュの街を訪れた、緊急支援チームの近内みゆきからの報告です。

臨時診療所に集まる被災者たち

左足の傷を見せるアタッシュさん

エルジシュの仮設病院に来たアタッシュさん。地震で脚に傷を負った(2011年10月29日)

10月29日、私たち緊急支援チームは最も被害の大きかったエルジシュ地域に入りました。町中では瓦れきの山と化した建物がいたるところで目につきます。

この地域には仮設の大きな診療所が2ヵ所建てられています。この日は、そのうちのひとつ、地元の高校の体育館を使った診療所で被災状況を調査しました。足を引きずりながら入ってくる人や家族に抱えられて来る人、救急車で運ばれてくる人など、朝9時ごろからたくさんの患者がやって来ます。「入院」用のテントもある体育館内は、医師や患者、その家族らで毎日大変混雑するそうです。

診療所で出会ったルファック・アタッシュさん(65歳)は、脚の傷の手当を受けていました。地震が起きたときはパンを買って自宅に帰る途中だったそうです。大きな揺れで何かが足に当たり、左すねにえぐるような10センチ近い切り傷ができてしまいました。「だいぶよくなった」と言うアタッシュさんに、医師は「1日に1回はきれいな水で洗ってください。少しでも痛みを感じたら、すぐに来てくださいね」と声をかけました。

「お姉ちゃんは死んじゃったの。」

父親に付き添われてベッドに横たわるフメイラちゃん

脚を骨折してしまったフメイラちゃん。姉は地震で亡くなった(2011年10月29日)

午前9時半ごろ、白い毛布にくるまれ、父親の腕に抱かれてやって来たのはフメイラ・サヴジュちゃん(5歳)。毛布からのぞく左足にはギプスが巻かれていました。父親と一緒にベッドに座ると、医師が来るのを不安そうな表情で待っていました。

「(脚は)地震で折れちゃった。」「お姉ちゃんは死んじゃったの。」
フメイラちゃんはか細い声で、ゆっくりと当時の状況を話してくれました。地震が起きた時は居間でテレビを見ており、姉のファヴァちゃん(7歳)は台所でごはんの用意をするお母さんの手伝いをしていたそうです。突然の地震で食器棚が倒れ、オーブンが落ちました。ファヴァちゃんはテーブルとテーブルの間に挟まれて亡くなったそうです。居間ではテレビやストーブなどが倒れ、フメイラちゃんは足を骨折しました。

テントで避難生活を送る人々

東部の湖畔の町がエルジシュ

診療所にやってくる人の症状は、やけどから骨折まで様々です。緊急医療に関しては、トルコ国内から集まった医師や看護師で間に合う見込みが立ったそうですが、今後テントでの避難生活が長引くと、風邪が蔓延し、さらには下痢の患者が増える恐れもあるとのことでした。診療所の隣には、赤新月社が設置した約200張のテントが並んでいました。

緊急支援チームは、支援の届きにくい遠方の村や障害者学校などでも調査を続けており、必要とされている支援物資を届けられるよう準備を始めています。

 

※この活動は皆さまからのご寄付に加え、ジャパン・プラットフォームの助成を受けて実施しています。

 

瓦れきの広がる街を歩く太田夢香

倒壊した家屋が広がるエルジシュの街。中央は被害状況を調査する難民を助ける会の太田夢香(2011年10月29日)

湖のそばに並ぶ白いテント

診療所の隣、ワン湖のほとりにテントが並んでいた。緑色のトラックはチャイ(トルコの紅茶)を提供している(2011年10月29日)

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 近内 みゆき

難民を助ける会プログラム・コーディネーター。2011年10月より東京事務局勤務。大学時代に東西を結ぶ要衝に位置するトルコに興味を持ち、大学院ではトルコのEU加盟や移民問題などを学ぶとともに、トルコ、北キプロスで現地調査を行った。記者として新聞社に5年半勤務した後、難民を助ける会へ。(福島県出身)

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