トルコ地震:緊急支援を再開、食料と日用品を78世帯に届けました
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難民を助ける会では、2011年10月23日にトルコ東部で発生した地震の被災者支援を行うため、3人の職員が10月26日から現地に入り、食料や日用品の配付を行っていました。その最中、11月9日夜(現地時間)に再びトルコ東部で地震があり、支援活動にあたっていた職員の宮崎淳さんがホテルの倒壊に巻き込まれて亡くなりました。
その後一時活動を休止していましたが、現地ではまだまだ支援が必要とされていることから、12月14日に事務局次長の大西清人が再びトルコに入って活動を再開しました。12月26日には職員の川畑嘉文も合流し、2011年12月28日、トルコ東部のワン県アクチャオレン村で支援物資の配付を行いました。
寒さの厳しい被災地で今もテントで過ごす人々
アクチャオレン村は周囲を山に囲まれた小さな村です。今回の地震でほとんどの家が倒壊や半壊の被害を受けました。自宅が残っている人も余震を恐れて、多くの人がテントで暮らしています。仮設住居用のコンテナが政府から届いていますが、数は足りていません。地面の水たまりは昼でも凍ったままで、夜には気温は氷点下まで冷え込みます。
12月28日朝、ワン市内で準備した支援物資を車に積み込み、1時間ほどかけてアクチャオレン村に入りました。今回配付した物資は米、砂糖、ビスケット、マカロニなどの食料と下着、洗剤、タオルなどの日用品で、村の全78世帯に手渡しました。人々は大きな支援物資の袋を受け取ると、手押し車などに乗せて一生懸命家まで持って帰って行きました。
村長のユスフ・ブジャーさん(65歳)に話を聞きました。「支援物資は赤新月社などから少し届いていましたが、冬を乗り切るには足りない量でした。はるばる日本から支援に来てくださり、本当にありがとうございます。」亡くなった宮崎さんが調査のためにこの村を訪れたときのことも覚えてくれていました。訃報を聞いてユスフさんも涙を流したといいます。「宮崎さんとは紅茶を飲みながらたくさん話をしました。誰にでも笑顔で接する人で、とても親近感を持ちました。今回このような支援をいただき、日本の方々には心から感謝しています。」
トルコの被災地では今後も長期的な支援が必要とされています。難民を助ける会では引き続きトルコで活動を続けてまいります。皆さまのあたたかいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
1世帯当たりの配付物資 |
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食料:米10kg、油2リットル、塩750g、砂糖3kg、豆3kg、マカロニ1kg、茶1kg、トマト缶2kg、ビスケット1箱 生活必需品:下着(男性用2組、女性用2組、子ども用4組)、生理用品2パック、洗剤1箱、石けん800g、ハンドクリーム1個、タオル3枚、たらい1個 |
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 事務次長 大西 清人
1989年から2年間、在トルコ日本国大使館に勤務。2004年から2年間、アフガニスタンに駐在し、地雷対策活動に従事。パキスタン大地震(2005)、レバノン空爆(2006)、フィリピン台風(2009)、パキスタン洪水(2010)、ハイチ大地震(2010)で緊急支援を担当。