3月11日に寄せて―理事長 長有紀枝より
3月11日から1年が経過しようとしています。2012年3月1日現在、今なお、小さなお子さんからお年寄りまで3,276名もの方々の行方がわからず、死亡が確認された方々の総数は15,854名にも上ります。改めまして、お亡くなりになられた方々に衷心より哀悼の意を表しますとともに、残されたご家族、そしてゆかりのある方々に、心からのお悔やみを申し上げます。
また、福島県では、地震と津波に加え、東京電力福島第一原子力発電所の、人災ともいえる事故により、県内に約97,000人、県外に約63,000人もの方々が避難生活を余儀なくされています。故郷に帰る目処のたたない方が大半です。この1年間のご心労やご苦労はいかばかりかと存じます。
被災された皆さまに、改めまして、心よりお見舞いを申し上げます。
昨年9月11日にご支援くださる皆さまにご挨拶申し上げてから半年が経過いたしました。その後も、私ども難民を助ける会に、国内外の支援者の皆さま、企業、団体、財団等の方々からご寄付と助成、物資やサービスのご提供をいただきました。発災以来今日までに、約21億9千1百万円をお預かりし、2月末時点で約17億円を活用させていただきました。
活動の詳細は、ホームページや会報、報告書で毎月ご報告させていただいておりますが、改めまして、頂いたご支援に心から御礼申し上げます。お預かりしております支援金、助成金は、被災された方々のために、引き続き、大切に活かして参りますことをお約束いたします。
この半年、報道や調査により、様々なことが明らかになり、震災対応や原発の事故対応の検証がなされるとともに、今後の防災、減災に活かそうという動きが出ています。ここでは特に、難民を助ける会の活動に関連して、2つの報道を取り上げさせていただきます。
まず一つ目は、私たちが海外での支援活動の重要な活動の柱に据え、東日本大震災でも当初より重点的に支援を行ってきた障害のある方々についてです。NHKおよび毎日新聞の調べにより、岩手、宮城、福島3県の沿岸部自治体で、身体、知的、精神の各障害者手帳を持っておられる方々に占める犠牲者の割合が、住民全体の死亡率に比べ、2倍以上高いという実態が明らかになりました。私たちが障害者の支援活動をしている、カンボジアやミャンマー(ビルマ)、ラオス、スリランカ、タジキスタンやハイチ、といった国々の話ではありません。この日本の実情です。他方で、障害者手帳を基にこうした統計がある、ということ自体、福祉制度が充実している先進国ならではと言えるのかもしれません。しかしそれに比べて、災害時の、そして発災から1年を経過した今なお、障害のある方々が置かれている過酷で困難な状況は、先進国で発生した災害だとは到底信じがたいものです。
もう一つは、朝日新聞の連載『プロメテウスの罠』やNHK等で明らかにされた、福島県飯舘村など、退避勧告がでた地域の外側にありながら、放射線量が非常に高かった地域の住民の方々への情報提供が著しく遅れたという実態です。原発周辺の住民の方々の安全を確保する姿勢や取り組みの著しい欠如は、日本の国のありようが、根本から問われる恐ろしい事態でありました。国家によって国民が守られないのは、途上国だけの話ではないのだと、実感いたすと同時に、だからこそ、私たち、民間団体が活動すべき空間、領域があるのだと考えます。
難民を助ける会では、第一陣が被災地に入った3月13日以来、岩手、宮城両県の障害者施設や在宅の障害のある方たちに対する救援物資の配布、障害者・高齢者施設の修繕、福祉作業所再建の支援、人工呼吸器を使う障害者の方々へ停電時に命をつなぐ発電機の支援などを行っています。今後も引き続き岩手、宮城、福島3県の障害をもつ方々やご高齢の方々のための支援を様々な形で継続してまいりますことを、お約束いたします。
また福島県では、これまで、地元の商店街から調達した鍋やこたつなどの生活必需品を、県内、県外の仮設住宅、借り上げ住宅に入居した方々にお配りしてまいりました。今後は、4月1日より、福島県相馬市に福島事務所を開設し、仮設住宅で暮らす方々への支援を継続するとともに、宮城県、岩手県同様、障害者の方々の支援に尽力してまいります。
また放射能の問題にも人道支援団体の立場から取り組みを続けてまいりたいと思います。今回の福島第一原子力発電所の事故により、兵器としての核の問題と、エネルギーのための平和利用という原子力の問題も、ひとたび事故がおきれば、その被害に差はないのだということが明らかになりました。また、こうした災害は、チェルノブイリや福島のみならず、原子力関連の施設がある所ではどこでも起こりうる災害であるとの認識も新たにいたしました。原子力災害は、私たちがこれまで取り組んできた地雷や不発弾同様、まぎれもなく人道問題です。福島県や県外に避難した方々へのより一層の支援に取り組みつつ、また、福島での救援活動を経験した日本の人道支援団体として、この経験を、海外の人道支援団体に提供していくことも私たちの責務だと思います。
さて、難民を助ける会にとっては、もう一つ大変大きな、そして悲しい出来事がございました。10月23日にトルコ東部ワンで発生した地震の被災者救援活動に取り組んでいた職員2名の滞在するホテルが、11月9日(現地時間)夜に新たに発生した地震により倒壊、近内みゆきは負傷しつつも無事救出されましたが、宮崎淳さんがお亡くなりになりました。
その衝撃の中で、私たち自身が驚かされたのが、東北の被災者の方々が直接、間接にお寄せくださったメッセージでした。東北事務所長の野際紗綾子は訪れる先々でお悔やみやお見舞いを頂いたといいます。東京本部にも、被災者の方々、支援活動でご一緒させていただいた県庁や市町村の役場の方々、原発事故で県外避難を余儀なくされている方々から、宮崎さんの死を悼み、ご家族や私たちを案じてくださる、お電話やお葉書、お手紙を頂戴しました。ご自身が大変な状況にある中でのお心づかいに涙がこぼれました。
東日本大震災の発生から、1年が経過した今、新たな一歩を踏み出す方々、復興に向かう希望が見える一方で、復興どころか、1年前と変わらない被災地、さらに状況が深刻化し、もっと深い沼に落ちていきそうな被災地、その闇の中で暮らす方々が厳として存在しています。そうした地域の被災者の方々を前に、1年という単位は、節目でも何でもないという思いにもとらわれます。
だからこそ、今後も引き続き、「困った時はお互いさま」の精神で、海外での支援活動とともに、岩手県、宮城県、福島県を中心に東日本大震災の被災者の方々への支援を継続してまいります。
改めまして、皆様のご支援に心から御礼申し上げますとともに、これからも私たちの活動にご支援を賜りますよう、お願いいたします。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
難民を助ける会理事長 長 有紀枝