東日本大震災:仮設住宅に暮らす方々の菜園づくりを支援しています
野菜作りをきっかけに新たな交流が生まれています
宮城県沿岸地域の仮設住宅に暮らす方々の多くは、震災以前は農家として、または家庭菜園で野菜を育てていました。しかし、津波により農地や菜園が流されてしまい、自力で土地を確保して農作業を再開することが難しくなりました。毎日外に出て農作物の世話を通して体を動かしていたのが、震災後はそれができなくなり、多くの人が運動不足になっていました。長引く仮設住宅での生活にストレスを抱え、ひきこもりがちになってしまう方もいらっしゃいます。
そんな中、「震災前の生活を少しでも取り戻そう」「運動不足を解消しよう」と、空き地を耕し、菜園をつくって野菜を育てる活動が各地で盛んになってきています。AAR Japan[難民を助ける会]では、菜園となる土地の整備や農具の提供などを通じて、被災者の方々の活動を支えています。新しくできた菜園で協力して農作業をする中で、自然と住民同士のおしゃべりや笑顔も増えてきました。
宮城県女川町:「自分で育てた野菜をまた食べられるのがうれしい」
三陸沿岸部の女川町では、津波により山間部まで壊滅的な被害を受けました。現在も仮設住宅で暮らしている方が大勢いらっしゃいます。
女川町清水地区自治会では、会長の高橋義弘さんが中心になって、仮設住宅の前にある空き地を借りて菜園をはじめました。空き地の隣には川が流れており、菜園に使う水は豊富にあります。しかし、津波が押し寄せた場所だったため、瓦礫や岩を取り除かないととても菜園として使うことはできません。また、土が痩せていて、野菜を育てるには栄養が不足していました。
そこでAARは、小型耕運機1台、鎌や鍬、スコップなどの農具、農具を保管するための物置1棟、新土2トン、肥料有機化促進剤などを提供。また、瓦礫の撤去作業は東北福祉大学の学生の方々と女川復興支援センターの方々が手伝ってくださることになりました。大きな岩がごろごろあり、開墾作業は思うように進みませんでしたが、少しずつ岩を取り除き、整地された畑に新しい土を入れて、約450平方メートルの菜園が出来上がりました。
この菜園は、利用者の方々により「ふれあい農園」と命名されました。土地が整い、野菜が育ち始めるにつれて、草むしりや水やりをしながら世間話をする方々や、午後3時頃には農作業の手を休めて「お茶っこ」のためにお漬物やおかずを準備するお母さんたちの笑顔が見られるようになりました。
宮城県東松島市:力をあわせてビニールハウスを設置
内響(うちひびき)応急仮設住宅では、住民の福田とみこさんが発起人となって自治会長や地域のサポートセンターに呼びかけ、仮設住宅のすぐ近くの土地を借りて、住民の皆さまが共同で使える菜園を作りました。AARは、この「ひびきファーム」に鍬やスコップなどの農具や物置、さらに寒い時期にも農作物を作れるよう、ビニールハウスを提供することにしました。
5月13日に、内響応急仮設住宅に暮らす男性の方々が中心となって、ビニールハウスを組み立てました。大雨のあとで地面がぬかるんでいる中、AARの職員も一緒に、なんとか一日かかって骨組みを完成させることができました。2週間後の5月28日には、西本願寺・東北教区のボランティアの皆さまが応援に駆け付けてくださり、仮設住宅の皆さまと一緒に、骨組みの上にビニールを貼りました。
完成したビニールハウスは、10月頃から使われる予定です。ビニールハウス以外の土地はすでに区割りされ、仮設住宅に暮らす25名ほどの方々がそれぞれに野菜を植えています。「ひびきファーム」で野菜作りをはじめるまでは交流がなかった方々の間で、野菜の育ち具合を比べたり、世間話に花を咲かせる光景が見られるようになりました。
野菜作りを通して元気を取り戻してほしい
AARはこの他にも、東松島市の「土を愛する会」、石巻市の「馬っ子農園」や「水貫農園」などで、農具やプランターの提供、水汲み場の設置、新土の支援などを通して、被災者の方々の菜園での活動を支えています。
新しい菜園での野菜作りは、仮設住宅にこもりがちだったご高齢の方々や男性の方々にも、「得意な農作業なら参加しやすい」と喜ばれています。AARはこれからも、被災した方々が心身ともに健康で過ごせるように、被災地での支援活動を続けて参ります。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
仙台事務所 大原 真一郎
大学卒業後、民間企業に勤務。東日本大震災の後、2011年7月まで被災地でボランティアに従事。2011年8月からAAR仙台事務所へ。