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東日本大震災:被災地でピアノの発表会を支援しました

2012年11月12日  日本障がい者支援
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真剣に演奏する生徒を、家族や地域の人々があたたかく見守ります(2012年10月7日)

AAR Japan[難民を助ける会]は、姉妹団体の社会福祉法人さぽうと21と協力し、岩手県陸前高田市にある「田村尚子ピアノ教室」の震災後初の発表会を支援しました。

今こそ子どもが感情を自由に表現できる場所を

田村尚子ピアノ教室は、陸前高田市内で一番多くの生徒が通うピアノ教室でした。ところが、東日本大震災により、ピアノ教室も田村先生のご自宅も全壊。4名の生徒が津波の犠牲になりました。震災後しばらくは町中の人が生きることに必死で、教室再開どころではなかったそうです。しかし、次第に保護者や生徒から強い要望が上がり、震災から半年後の2011年9月、津波を免れた生徒の自宅を教室として、第一歩を踏み出しました。その後、コンテナハウスでできた仮設商店街の一角をピアノ教室に使用できることになり、さぽうと21の支援でピアノも寄贈されることになりました。

町の人々の中には、 「生活再建の兆しも見えないのに、子どものお稽古ごとのために仮設を利用するのか。暮らしや商売が先ではないのか」と批判する声もありました。けれども田村先生は、「震災後の今こそ、子どもたちが感情を自由に表現できる場所が必要なのだ」という考えでした。一つのことに集中できず突然奇声を上げたり、過剰なほどスキンシップを求めたり、皮膚炎を発症するなど、震災後に生徒たちの様子が変わってしまったことを、田村先生は大変心配していました。しかし、教室が仮設商店街で本格的に再開すると、生徒たちのピアノに対する集中力がグンと上がり、先生が求めた以上のページまで練習してくる生徒も出てきたそうです。

「震災で亡くなった仲間に、私たちの音楽を届けよう」

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真剣な眼差しで演奏する熊谷斗真くん(4歳)は、この日のために一生懸命練習を重ねてきました

これまでは年に一度は発表会を開催していましたが、2011年は叶いませんでした。「今年こそ発表会をしたい」という声が生徒たちから上がり、田村先生からお話を伺ったさぽうと21とAARは、生徒たちのやる気を応援しようと開催を支援することにしました。秋を目標に発表会を企画し、生徒たちのレッスンにもますます熱が入りました。家にはピアノがないため、レッスン後に教室に残って練習をしたり、学校のピアノを借りて練習する生徒もいました。

発表会当日の10月7日は、生徒・保護者が総出で会場を設営しました。震災で亡くなった友達に、自分たちの音楽を届けたいという思いから、ステージは屋外にしました。教室からピアノを運び出す作業は、専門業者が無償で行ってくれました。AARは音響設備や備品の用意、プログラム作りなどをお手伝いしました。天気予報の通り、何度となく雨雲が押し寄せ小雨がぱらつきましたが、開始まであと30分というところで、突然青空が広がりました。願いが通じたと、生徒たちは大喜びです。午後1時、仮設教室の駐車場にて、田村尚子ピアノ教室発表会『空にひびけ はじめの一歩』が幕を開けました。

最初に田村先生がAARの地雷廃絶キャンペーン絵本『地雷ではなく花をください』(文・柳瀬房子/絵・葉祥明)の一節を朗読し、この発表会を開く意味、たくさんの応援があって今日を迎えられたこと、支え合って生きることの尊さについて語りました。次に小学校低学年の生徒7名が並び、開会のあいさつをしまし た。「今日はどうしてお外で発表会をするの?」「それはね、お空にいるみんなに私たちの音楽を届けるためだよ」「それじゃ、私たちがんばらなきゃ」「うん!」

発表会に加え、プロのトランペット奏者による演奏や、全員による合唱も

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小林好夫さんの演奏に、子どもたちは「かっこいい!」「もっと聞きたい」「また来てくれるかな」と大興奮でした(ピアノ演奏は田村尚子先生)

発表会は3部構成で、第1部は生徒によるピアノの発表会。出演者の家族に加え地域の方々も集まり、総勢100名を超える観客に見守られる中、4歳児から社会人まで、24名の生徒が演奏しました。会場は国道沿いなので、瓦礫運搬のための大型トラックや重機が砂煙をあげながら大きな音を立てて通ります。その騒音にも負けず、生徒たちの奏でる美しい音色は、初秋の空に響き渡りました。

第2部は、プロのトランペット奏者・小林好夫さんによるコンサートでした。会場の子どもたちは大きく目を見開き、小林さんの迫力ある演奏に聴き入りました。ジブリ・メドレーの最後「さんぽ」には大きな手拍子がおこり、子どもたちはトランペットに合わせ歌い出しました。

第3部は生徒全員が登場し、ダンスを交えての合唱です。最後は、NHKの東北復興支援ソング「花は咲く」を参加者全員で合唱。観客の多くが、涙を流しながら口ずさんでいました。終了後は惜しみない拍手が続き、参加者全員に配られた色とりどりの風船が一斉に空に放たれると歓声が上がり、閉幕となりました。

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参加者全員で大合唱した後、子どもたちは今日まで自分を支えてくれた大切な家族に可愛い花をプレゼントしました

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「亡くなった4人の生徒だけでなく、ここにいる人はみんな大切な誰かを失っています」と、田村先生。沢山の思いが詰まった風船が、陸前高田の空に舞い上がりました

発表会終了後、田村先生は感激した様子でこう話してくださいました。「一生忘れられない、とびっきりの発表会を、生徒たちに経験してもらうことができました。今日までのさまざまなご支援とあたたかい応援に、心から感謝申し上げます。私たちの新しい一歩の音は、きっと空にいるみんなのもとへ響いたと思います。」

また、後日こんなメッセージもいただきました。「何より嬉しいのは、来年の予定について話せるようになったこと。震災以後、みんな今日を生きるのに精一杯で、将来の夢を語るどころか、少し先の見通しさえも立てられませんでした。けれど発表会の後は、生徒や保護者が『来年はどんな発表会にする?』と、あれこれ笑顔で相談し合うようになりました。みんなのそんな姿を見るたび、発表会を開いて本当に良かったと実感します。」

壊滅した陸前高田の元市街地を目の当たりにしながらレッスンに通う生徒の皆さんの思いは計り知れません。けれども、大切な人への気持ちを音楽に込めて伝えたいという生徒の皆さんの熱い思いと、保護者、地域の方々が生徒たちの晴れ舞台のためにお互いに協力し合う姿に心を打たれました。私にとっても、忘れ難い一日となりました。

※この活動は、皆さまからのあたたかいご寄付に加え、サンキョー株式会社のご協力と、ソフトバンクモバイル「かんたん募金」からのご寄付を得て実施しました

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

盛岡事務所 坂 むつみ

2011年6月より盛岡事務所勤務。大学卒業後、民間企業を経て難民を助ける会へ。障害者施設の修繕事業などを担当。(岩手県出身)

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