東日本大震災:「福島の子どもに笑顔を!」リコー新入社員の皆さんが大活躍
NGOって?ボランティアって?AARの事務所で体験!
AAR Japan[難民を助ける会]では、株式会社リコーの新入社員向けの社会貢献活動実習に協力し、4月22日から26日までの1週間、同社ラグビー部員を含む新入社員6名を受け入れました。AARの東京事務局でNGOやAARの活動についての講義を受けたり、当会のボランティアの皆さんと一緒に会報の発送作業などをお手伝いしていただきました。4月24日には、東日本大震災の被災地訪問とボランティア活動のため、AARが支援活動を行う福島県相馬市と南相馬市を訪れました。
瓦礫の山、ゴーストタウン、増える自殺者・・・被災地の声なき声に耳を傾けて
4月24日の朝9時に仙台に着き、レンタカーで1時間半かけてAAR相馬事務所へ。そこから旧警戒区域の南相馬市小高区を視察して回りました。この辺りは津波の被害が大きく最大24メートルとも言われる波にのまれ、塩害を受けた畑が延々と広がっていました。また第一原発事故により避難区域となっていた町中では、ねずみが繁殖し家を荒らしまわるため、ときどき住民が帰ってきて掃除をしているそうですが、主を失った家々には明かりも人の気配もありませんでした。
AAR相馬事務所スタッフの横山恵久子は震災直後より相馬市内で人命救護活動を行い、その後も避難所での救援や、仮設を回って震災後のストレスに悩む方々の訪問相談も行ってきました。被災地では農業や漁業を営んでいた人が多く、震災後の放射線の問題により生業を失ってしまいました。そうした中、生活苦から夫婦喧嘩が絶えず、親が離婚したり、虐待を受けている子どもたちの声も受け止めています。また、生活の先行きが見えない不安とストレスから、ひどい場合は自殺にいたる人もいます。横山が語る、ニュースには出てこないそうした過酷な現状に、リコーの新入社員の皆さんは真剣に聞き入っていました。
「子どもたちに元気を届けたい!」日立木小学校の授業に参加
被災地を見学した後は、相馬市立日立木(にったき)小学校を訪問。6年生の体育の授業に参加しました。震災後の放射線量の問題から、相馬市内の小学校では体育の授業だけでなく、運動会も校庭ではなく体育館で行わざるをえなくなりました。けれども体育館は狭いため親が来て応援するのに十分なスペースはありません。普通なら当たり前のはずの、運動会で応援する親の姿が相馬市からは消えました。また、子どもたちが楽しみにしていた遠足も、放射線量が理由でなくなってしまいました。
そうした限られた状況にいる子どもたちのために、リコーのラグビー部の皆さんは、体育館の中でも子どもたちがめいっぱい身体を動かせるよう、ゲームを取り入れながら楽しく授業を進めてくださいました。子どもたちは自分の倍以上もある体格のお兄さんと一緒に大声で走り回り、体育館にはたくさんの笑い声が響きわたりました。
「すっごく大きくてびっくりした」「あんなに速く走れてすごいな」
最後に「お兄さんたちに質問がある人は?」と聞くと、子どもたちからたくさんの手が挙がりました。「50メートルを何秒で走れますか?」という質問には、「このお兄さんたちの中で一番速い人は6秒。僕は一番遅くて7秒2です。この中で一番速い子は?」と逆に質問されると一番足の速いといわれる女の子をみんなが指名。彼女のタイムは8秒でした。するとお兄さんが、「僕は小学校6年生のころは足が遅くて9秒台でした。でも中学に入ってラグビーを練習するようになってからタイムが上がりました。だから、きみたちもたくさん練習すれば、これからどんどん速くなると思います」。
6年生の山本楽人くんは、「とっても楽しかったです。50メートルを6秒で走れるなんて憧れます」と話してくれました。
親の帰りを待ち続ける子どもたちの「お父さん」に
日立木小学校の子どもたちと別れた後は相馬市児童センターに移動し、働く親の帰りを待つ低学年の子どもたち約40人と交流しました。みんな心待ちにしていてくれました。
最初はおとなしく児童センターの先生の話を聞いていた子どもたちですが、いざホールに移動しお兄さんたちとの交流が始まると大騒ぎ。手つなぎ鬼からはじめようと思っていたお兄さんたちも、「氷鬼がしたい」「かくれんぼがしたい」という子どもたちの要求を前に、とにかく「みんながやりたいことをやろう!」ということになりました。その後はあちこちで鬼ごっこや肩車、お馬さんごっこにでんぐり返しなど、思い思いの遊びが始まりました。
「久しぶりに子どもたちの心からの笑顔が見られました」
震災後、他の地域へ避難していた人々が戻り、やっと見つけたパートの仕事で働きに出るなどしたため、この児童センターで親の帰りを待つ子どもたちは震災直後に比べて増えています。中には震災により親を失くしたり、親が離婚し、父子家庭または母子家庭の子どもたちもいます。この児童センターでは夜6時15分まで子どもたちを預かりますが、他の児童センターでは親の仕事が終わらないため、子どもたちが住む仮設住宅の自治会長が、親が帰宅する9時過ぎまで子どもたちの面倒を見ることもあります。
「親も大変だから子どもたちはわがままを言えません。でも今日はお兄さんたちのおかげで、久しぶりに子どもたちの心からの笑顔が見られました」と、センター主任の門馬美樹さん。たった1日ではありましたが、お互いに忘れがたい日となりました。
東京に戻って研修最後の日、新入社員の皆さんは、「相馬で感じたこと、子どもたちから学んだことを生かしたい」、「自分たちにできる社会貢献について考え実践していきたい」などと語ってくださいました。子どもたちの笑顔を引き出してくださったリコー社員の皆さん、本当にありがとうございます。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 伊藤 美洋
1996年よりAARで広報を担当。大学を卒業後、4年半の企業勤務を経て1996年よりAARへ。3児の母。