
ネパール地震緊急支援:被災から1ヵ月-山頂の村の避難生活は
家族だけで眠れる場所を
AARの緊急支援チームは、山間部のダーディン郡タサルプー村での活動を続けています。5月9日~21日にかけ、同村に住む1299世帯の住民に、食料として米、ダール(豆)、塩、食用油、マサラ、ターメリックを、生活用品としてテント用資材(ビニールシート(3.6x5.5m)1枚、ビニールシート取り付け用ロープ30m)、フロアマット、蚊帳、ブランケット、生理用ナプキン、バケツを配付しました。
支援物資を配付後、再びタサルプー村の各区を訪れたところ、住民の方たちがAARの配付した資材でテントを作り、家族一緒に寝る場所を作れたことを確認できました。タサルプー村4区に住むスウン・マヤ・タマンさんの家族は、被災直後は拾ってきた小さなビニールシートしか手に入らず、家族はそれぞれのテントで避難生活を送っていました。政府からは米5kgの支給があったのみで、それ以外の支援はなく途方に暮れていたと言います。AARの物資配付により、ようやく家族10人が一つのテントで生活することができるようになりました。「山の村は、日中は暑くても夜は冷えるので、AARの支援に感謝しています。特にブランケットは重宝しています」と話してくれました。

AARの支援物資でテントを作ったスウンさんと娘(2015年5月27日 ダーディン郡タサルプー村)

AARの配付物資で作ったテント。やっと家族で住めるようになったという喜びの声を、村人からもらいました(2015年5月27日 ダーディン郡タサルプー村)
「孫の成長を祝う行事も、無事に行えます」
タサルプー村は山間部に位置しており、10~50世帯が居住する集落が散在しています。7区のジュレトンと呼ばれる集落は山頂にあり、40世帯が居住しています。ジュレトンに住むジト・バハドゥール・タマンさんは、地震発生時は高熱で寝込んでいたため、動くことができませんでした。ジトさんの娘が助けてくれなかったら命はなかったと、目に涙をためて語ってくれました。
ジトさんたちは倒壊しつつある自宅から逃げることに必死で、食料や必要な生活用具を持ち出すことができませんでした。しかし、大変な避難生活の中でも、お孫さんの成長を祝うネパールの伝統行事「パスニ」は絶対に行いたかったと言います。パスニとは、6ヵ月をむかえる赤ちゃんを祝うための行事。お米でつくる料理(サレ・ロッティ)が欠かせません。ジトさん一家は、「AARがお米を支援してくれたお蔭で、無事にパスニを行うことができます」と喜んでくれました。

7区の住民から話を聞くAARの古川千晶(右端、2015年5月27日 ダーディン郡タサルプー村)

震災当時を涙ながらに振り返るジトさん(2015年5月27日 ダーディン郡タサルプー村7区)

生後6ヵ月になるジトさんの孫、リンジンちゃん(中央)と家族(2015年5月27日 ダーディン郡タサルプー村7区)

AARの支援によって、リンジンちゃんの生後6ヵ月を祝う行事に欠かせない米料理を作ることができました(2015年5月27日 ダーディン郡タサルプー村7区)
※この活動は、皆さまからのあたたかいご支援に加え、ジャパン・プラットフォーム(JPF)の助成を受けて実施しています。
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【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 古川 千晶(ふるかわ ちあき)
大学卒業後、人材コンサルティング会社などを経てイギリスの大学院で国際開発学を学び、帰国後AARへ。2010年10月よりハイチ駐在。2012年1月より東京事務局でアフガニスタン、ミャンマー事業を担当。2013年のフィリピン台風などの緊急支援にも携わる(大阪府出身)