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「もう地震なんて怖くない」-被災8ヵ月後のネパールから-

2015年12月18日  ネパール緊急支援
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AAR Japan[難民を助ける会]はカトマンズの西にあるダディン郡で、4月に発生した地震の影響で校舎が損壊した学校の仮設校舎を建設してきました。12月初めに郡南部では最後となる26棟目の仮設校舎が完成し、譲渡式が行われました。

ネパールの地図

たくさんの子どもが通ってきてくれますように...

ゴガンパニ村のヒマチュリ小学校の敷地内には、地震直後に建てられた、竹でできた仮設校舎が残っています(下写真・左)。スピード重視で建てられたものの、雨に弱く冬は寒いため、新しい校舎が必要とされていました。AARは、石と泥でできていたため倒壊してしまった以前の校舎の跡地に、鉄骨とレンガを使って仮設校舎を建設しました。雨季にも耐えられるよう、床にはコンクリートを流しこんであります(下写真・右)。

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ヒマチュリ小学校の以前の仮設校舎は竹製でした(以下すべて、ダディン郡ゴガンパニ村、2015年12月5日)

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AARが新たに建設した仮設校舎。コンクリートが流し込んであり、もう雨が降っても足元が泥まみれになることはありません

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私たちが到着するとすでにたくさんの生徒や保護者が集まっていました

12月5日に行われた譲渡式には、ネパール地震被災者支援にご寄付をいただいた、協力団体のインターナショナル・レスキュー・コミティー(IRC)からプログラム・マネージャーのモルガン・デ・サントさんがゲストとして出席。AARネパール駐在員の池田武とともに、富の象徴である米を赤い塗料などに混ぜた「ティカ」を額に塗ってもらい、祝福を受けました。

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譲渡式のようす。左から2番目はIRCのデ・サント氏。隣はAARネパール事務所の池田武と東京事務局の古川千晶

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校長から額に「ティカ」を塗られ、祝福を受けるデ・サント氏

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ネパールの太鼓・マダルを使って感謝の歌を歌う卒業生。学校をあげて精一杯のおもてなしをしてくれました

式には校長や生徒の保護者、教育局の関係者ら多くの人が集まり、卒業生がネパールの太鼓・マダルを使って、自ら作ったという感謝の歌を披露する一幕もありました。テープカットが行われて我先にと教室に飛び込んだ子どもたちは興奮したようすでした。

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我先にと教室に飛び込んだ子どもたち。左後方は校長のインディラさん

この学校には、チェパン族という先住民族が暮らす、ネパールの中でもとても貧しい集落の子どもたちが通っています。学校に通うよりも農作業や家事の手伝いをしなければならない子どもが多く、この学校に現在通っている生徒も37人に留まります。校長のインディラさんは「新しい校舎ができたので、子どもたちがもっと通ってくるようになると信じています」と話しました。AARの建設した仮設校舎が、教育の重要性を大人が理解するきっかけになることを期待しています。

「地震はもう怖くない。とにかく、勉強を続けたい」

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岩が転がる山道をひたすら走ります(2015年12月6日)

11月からは新たにダディン郡北部で仮設校舎19棟の建設を開始しました。カトマンズから車で3時間ほどの位置にある郡庁所在地のダディンベシから、さらに舗装されていない、でこぼこの山道をひたすら1時間半ほど車に揺られて行くとトリプレシュア村に到着します。

村にあるアンクゥ小学校は地震で大きな損傷を受けたため、近くにあるアチャネ高校と合併しましたが、高校も生徒数に比べ、教室が足りなくなっていました。そこでAARはアンクゥ小学校の敷地内に2棟の仮設校舎を建設することにしました。これらの校舎が完成した暁には、222人の高校生たちが利用することになります。

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地震で損壊したアクトゥ小学校(ダディン郡トリプレシュア村、2015年12月6日)

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左が損壊したアクトゥ小学校。右がAARが建設中の仮設校舎(2015年12月6日)

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「どんな校舎が欲しい?」と聞かれて迷わず「地震でも倒れない校舎!」と答えたアーチナさん(2015年12月8日)

将来は看護師になりたいという15歳のアーチナさん(左写真)は地震で自宅が倒壊しました。当時は家の中にいて、外に逃げ出して無事だったものの、怖い思いをしたと言います。建設中の仮設校舎を見て「これなら地震が来ても大丈夫そう」と笑顔を見せました。

なかなか支援の手が届かない北部のこの村には、地震が発生してから8ヵ月近くが経った今でも、倒壊したまま残っている家が多く見受けられます。トタンでこしらえた仮住まい用の小屋もありますが、多くの村人にはすぐに家を建て直す余裕はありません。

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村には損壊した家が今もそのまま残されています(2015年12月6日)

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トタンで作った仮住い用の小屋も多く見られます。自宅が倒壊したアーチナさんもこのような小屋に住んでいるといいます(2015年12月8日)

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「地震はもう怖くない」と力強く語るナマラグさん(2015年12月8日)

アチャネ高校に通う18歳のナマラグさん(左写真)は地震のときのことを尋ねると、「村の人総てが被害を受けた。あのとき何が起きたか、説明するのは難しい」と口をつぐみました。しかし将来の夢を聞くと「前は地震が怖かったけれど、もう怖くない。将来何になるかは決めていないけれど、とにかく勉強は続けたい。そして何があっても対応できるように、なんでもできる人になりたい」と語ってくれました。

地震の爪痕が残るなか、AARの建設した仮設校舎が少しでも、将来を担う子どもたちの助けになることを願っています。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 加藤 玲奈

2014年10月より東京事務局で広報・支援者サービス担当。大学卒業後テレビ局で報道に携わり、退社して英仏に滞在した後、AARへ。東京都出身

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