シリア難民~都市に住む人々の見えない苦悩~
「しばらくすれば紛争も収まり、また故郷で元通り暮らせる」。シリア危機が始まってから5年が経とうとする今、それが叶わない望みだということが、誰の目にも明らかになっています。トルコには230万人のシリア難民がいますが、政府が用意できた難民キャンプは27万人分。ほとんどの人は街で自力で暮らしています。その暮らしとはどのようなものか、それを受け入れている街の人々の思いは。AARの活動地で、人口の実に4分の1がシリア難民というトルコ南東部のシャンルウルファ(以下、ウルファ)の現状を報告します。
「どんなに苦しくても、ここにいるしかない」
あちこち塗装の剥げた2階建ての建物が隙間なく並ぶ中に、36歳のロジダさんが夫と7人の子どもとともに暮らす家があります。コンクリート剥き 出しの部屋には、近所の人がくれたという絨毯と布団、ストーブ、そしてテレビだけ。
「私たちはアレッポから来ました」。故郷の名を口にするなり声をつまらせたロジダさん。涙ながらに、シリアでのできごと、トルコでの暮らしを語ってくれました。夫は爆撃でけがを負って以来、ほとんど歩けません。医者もいなくなった故郷では応急処置しかできず、AARの支援で定期的にリハビリを受けられるようになるまで、その機会もなかったためです。それが元でうつ状態になり、今は家にひきこもっています。やむなく2人の息子が学校に行かずに働いていますが、不法就労のため、稼ぎは2人合わせても1人分の最低賃金の3分の2にしかなりません。
「夫は病気。子どもたちはトルコの子にいじめられ、働いている子たちはいつも疲れ切っている。母親としてとても悲しい思いです」と嘆く ロジダさん。「ここは生きづらいけれど、別の場所に行くお金もない。運命を受け入れるしかありません」。
沈みこんでいたロジダさんですが、AARが運営するコミュニティセンターでトルコ語を学ぶ3人の娘の話になると、やっと笑顔になりました。「子どもたちはコミュニティセンターが大好き。教育を支援してくれて本当にありがとう」。
すべては教育のため
12歳のアブドラくんは4年前、戦闘で故郷の街を追われました。親戚を頼ってシリア国内を転々とした2年間、学業は中断せざるをえませんでした。
トルコの一部の公立学校は昨年9月から、午前をトルコ人の、午後をシリア人の学校とする2部制で運営を始めています。それまでは、普通校はトルコ語による授業のため、シリア人は国連やNGO、シリア人の有志などが開く教室に通うしかなく、その質はさまざまでした。アブドラくんはいま、授業のない午前中も、AARのコミュニティセンターでトルコ語や母国語のアラビア語を学んでいます。家でも熱心に復習をしているそうです。
取り立てて不自由のない生活に見えるアブドラくん一家。母親に何か心配事はありますかと聞くと、「この子たちの教育です」と即答しました。トルコではまだ、シリア難民の立場が法で確立されているわけではありません。トルコにずっと住んでいられる保証はなく、公立のシリア人学校もまだ始まったばかり。
「私たちにヨーロッパに行く経済的余裕はありません。けれどこのままトルコにいて、十分な教育が受けられるのかもわかりません。いつかシリアに帰りたいけれど...」。
「将来は医者になりたい」というアブドラくん。どうすれば我が子の将来を守れるのか。トルコにとどまるべきか、別の国を目指すべきか、帰るべきか。逡巡は続きます。
「難民を助けたい、でも――」
「シリア人は俺たちの半分の給料で働くんだ。おかげで仕事が減ってしまった」。トルコの地元住民は皆、口を揃えます。
トルコ語の話せないシリア人にできる 仕事は、日雇いの単純労働や肉体労働がほとんど。それは、トルコの中でも貧しいウルファの住民の多くが求めている職でもあります。AARがコミュニティセ ンターを開いたのは、ウルファでも特に貧しい地域。ガスさえ通っておらず、午後には夕食の支度をする煙があたりに立ち込めます。
「俺たちに何が言える。シ リアで起きていることを見れば帰れとは言えないじゃないか」。苦々しそうにつぶやく近隣の男性。同情はするものの、自分たちの生活を脅かすようになった難民の存在に、住民の不満が静かに募っています。「早く戦争が終わって国に帰ってくれれば」。でも、もはや誰も近い将来その日が訪れるとは思っていません。
「友人にもいろいろな考えの人がいる。でも私は、シリア人を助けるべきだし、仲良くなりたいと思う」。コミュニティセンターの料理教室に毎週参加しているというトルコ人のアイシェさんは、こう言い切ります。
このセンターの講座は誰でも受講可能で、週末にはシリア人とトルコ人の交流イベントも開催しています(上右写真)。住民の希望で、トルコ人の子ども向けの英語講座も実施しました。住民にもメリットがあり、交流の機会にもなるセンターであることが、住民との軋轢をやわらげ、シリア難民のトルコでの生活を支えることにつながります。
新たな人間関係と自信が希望を生む
一口に「難民」と言っても、置かれた状況はさまざまです。しかし誰もが国の庇護と人間関係という最大のセーフティネットを失い、非常に不安定な状況下に置かれています。すぐに故国に帰れるという希望が打ち砕かれつつある今、不安と焦燥感ははかりしれません。一見取り立てて特徴もない穏やかなウルファの街で、周囲と何ら変わらない住宅の扉の向こうに、こうした人たちが50万人も暮らしています。
「AARは、彼らの失ったものを元に戻すことはできません。けれど、このコミュニティセンターが、彼らの自信を取り戻し、人間関係をつくる場にできれば」と駐在員の宮越清美は言います。ひとりひとりと向き合った地道な支援が、小さくとも確実に彼らの希望につながるはずです。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務所 山田かおり
2007年11月より東京事務局で広報・支援者担当。国内のNGOに約8年勤務後、AARへ。静岡県出身