「ひとときでも笑顔に」 東日本大震災の被災者に寄り添ってきた5年
5年の長きにわたる避難生活。一部の被災者は公営住宅などに移り新たな生活を始めていますが、宅地の確保の遅れで引っ越し先の公営住宅の建設が進まない、生活困窮により公営住宅に移動できない、あるいは福島第一原子力発電所の事故の影響で戻れないなどさまざまな要因で、今もなお18万人の方々が仮設住宅などでの避難生活を余儀なくされています(2015年12月時点、復興庁)。震災以降実施してきた支援活動を通して見えた、避難生活の現状を、AAR Japan[難民を助ける会]仙台事務所の大原真一郎が報告します。
リラックスできる時間に
AAR は2011年、地震発生の2日後から被災地での活動を開始し、食糧や生活必需品などの配付、巡回診療、緊急巡回バス、炊き出し、障がい者・高齢者施設の修繕・建設、福祉事業所の販路拡大支援、放射能測定器の提供などを実施してきました。同年の7月から現在まで継続している「地域みんなで元気になろうプロジェクト」は、被災者の孤立やストレス、体調不良を防ぐことを目的としており、「マッサージ&傾聴」(下写真)や「演芸慰問イベント」「手工芸教室」の開催、「菜園活動」などを実施しています。特に開催回数、参加人数の多い「マッサージ&傾聴」活動は、青年海外協力隊OBで理学・作業療法士の方々と、日本 産業カウンセラー協会の協力を得て実施しています。これまで500回以上行い、延べ7500人の方に施術を行いました。
実施場所は主に仮設住宅の集会所。マッサージなどを楽しみに、皆さんが開始時間前からすでに集会所に集まっていることも珍しくありません。マッサージが終わると笑顔で「あー楽になった」との言葉をかけてくださることもあります。待ち時間や、マッサージが終わった後もリラックスしていただこうと、挽きたての コーヒーも用意しています。いい香りが漂う中、自然と皆さんの会話も弾みます。ただ、和気あいあいとした雰囲気の中でも、狭い仮設住宅での運動不足や、体力の衰えなどについての不安を耳にすることもしばしばです。震災前には農業や酪農、大工など体を動かす仕事をしていた方々が、避難生活で体を動かす機会が ほとんどなくなったからです。震災から5年間、ひとときでも安らぎ、笑顔になってもらえればとの思いで実施してきた「地域みんなで元気になろうプロジェク ト」ですが、活動を通してお聞きした話からは、今なお復興には程遠い現状と、5年経って浮かび上がった復興への課題が見えました。
故郷に戻りたくても、戻ったとしても
「今が一番つらい」。原発事故により、福島県葛尾村から、より内陸部の同県三春町の仮設住宅に避難している70代の女性は、苦しい胸のうちを打ち明けてくれました。「あのときは『とにかく逃げろ、2~3日避難するだけだから』と言われて」始まった避難生活。「ここ数年は夢を見ているような感じだった」と話します。ようやく除染が終わった葛尾村へは「故郷だし戻ろうと思う。でも、実家の片づけをしようにも年寄り1人ではどうしようもない」と途方に暮れています。
同じく原発事故で同県川俣町の山木屋地区から避難している70代の男性は、「震災前は子ども、孫と三世代で暮らしていた。山木屋には戻るつもりでいる。し かし、子どもや孫は戻らない」と残念そうに話します。同県内各地の仮置き場に除染のため取り除いた土壌が残されたまま(右写真)の状況については「黒い 土嚢袋がうず高く積まれたままの故郷に帰れと言うのか?家の周りだけ除染しても、澄み切った小川が流れる里山でキノコや山菜、木の実を採り、野菜は自家栽 培をした自然と共生していた生活は戻らない。放射能が詰まった大量の土嚢袋があるすぐ横で米を作っても売れるとは思えない。あまりにも理不尽だ」と憤りも 感じています。故郷に帰ったとしても、震災前の生活は簡単には取り戻せない現実。2人の話からは、放射性物質の問題、そして5年を経て直面する世代の分断など、さまざまな問題が浮き彫りなります。
政策がコミュニティに軋轢を生んだ地域もあります。原発からの距離などによって避難に関する政府の対応が異なる沿岸部の同県南相馬市(左図)。原発から30km圏内の、わずか100m外側に自宅があるという50代の女性は、「補償金は一切もらえない。避難者はいつまでも仮設に住んでいないで出るべきだ。甘えている」と話します。一方、南相馬市の仮設住宅に住む60代の女性は「運動不足なので散歩をしていたが、近所の人に『補償金たくさんもらえていいわね』と言われ散歩はやめた」と言います。
同じく南相馬市の仮設住宅に住む80代の男性は「故郷に帰らず中古の家を買って仮設から出た人が、その地区の町内会からゴミ集積所へのゴミ捨てを断られ、仕方なく仮設のゴミ集積所まで来ている。南相馬と聞くだけで補償金をたくさんもらっていると思い込んでいる人が多い。賠償は条件によってさまざまなんだけどな」と、誤解などにより生じた地域住民の間の軋轢を嘆いています。
抱えきれない悩み
原発事故、過疎化、コミュニティの分断・・・。避難生活を送る皆さんは、ひとりでは到底解決できないこうした悩みをそれぞれ胸に抱えながら、この5年間、住み慣れた故郷から離れて日々生活してきました。よく「大災害によって社会構造の問題点が浮き彫りになる」と言われますが、この活動を通じ被災した方のお話を伺い、まさにそれを実感する日々です。
狭く不自由な仮設住宅でも、鬱屈した気持ちを少しでも晴らして健康を保ち、何とか避難生活を乗り切ってもらいたいという思いを込めて、活動してきました。今夏から秋にかけて、福島では多くの公営住宅が完成する予定で、大勢の方々の引っ越しが予想されます。仮設住宅での避難生活の間にご近所づきあいも増えました。こうした地域のつながりが、夏からの転居に伴い、再び途切れる恐れがあります。ご近所づきあいが減ることで、孤独死などが懸念されます。
被災地の問題は解決に向かうどころか、寧ろ悪化しているように感じることもあります。それでも、諦めずに活動を続けていきます。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
仙台事務所 大原 真一郎
2011年8月からAAR仙台事務所勤務。仙台を拠点に岩手、宮城、福島の被災地に毎日のように足を運び、復興支援を行う。現在は仮設住宅に暮らす方々の心身の健康を守る活動を中心的に担う。宮城県出身