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空爆と飢えと...シリア国内で食糧配付を続けています

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難民にもなれない人たち

2011年3月に始まったシリア危機。戦火を逃れ、祖国を離れる人は徐々に増え、6年目にさしかかろうとしている今、480万人もが戦火を逃れて外国で避難生活を送っています。ヨーロッパに命がけで渡る人々の姿も多く報道されました。しかし、このような難民の数倍もの人々が、シリア国内に取り残され、日々危険や飢えにさらされて生きています。国連の発表では、今1,350万人もの人々がシリア国内で支援を必要としていますが、戦闘が続く中、国連を始め人道支援団体がアクセスできる地域や届けられる支援はごく限られています。国内に残る事情は様々ですが、多くの場合、病気や障がいで身動きが取れなかったり、移動する手段を持たなかったり、隣国に渡ってからの数ヵ月間の生活費すら持たない人たちが取り残されています。また、一部の地域では、武装組織によって包囲され、住民が移動を制限され、地域の外に出られない場合もあります。そうした、難民にすらなれない人たちに対し、AAR Japan[難民を助ける会]は、2014年から現地協力団体を通じて食糧配付を開始し、これまでにシリア国内に暮らす11万人に届けました。

空地にぽつんと立つテントにパッケージを届けるスタッフ

シリア国内に留まらざるを得ない人たちの中には、空爆を恐れ、地下に穴を掘って暮らしている人たちもいます。写真は、地下の住居にAARが届けた食料を運び込む住民(2015年12月)

空爆に追われて

ムスタファさん(仮名)は、両親、妻、9人の子どもたち合わせて12人の大家族とともに村で暮らしていました。2014年9月、空爆がムスタファさんの家や勤務先を襲いました。ムスタファさんは近くの畑に逃げて一命を取り留めましたが、家に戻ると、空爆で自宅が完全に破壊され、両親と妻が瓦礫の下敷きになって亡くなっていました。そのときたまたま遊びに来ていた弟も一緒に帰らぬ人となりました。子どもたちは皆庭で遊んでいたため命は助かったものの、最愛のおじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、叔父さんの死を目の当たりにしました。

その日ムスタファさんは、当時生後6ヵ月の赤ちゃんを含む子ども9人とともに、近くの畑で夜を明かしました。翌日からまた空爆が始まり、子どもたちが怯えて泣き続けたため、近くの村へ避難することを決めました。亡くなった妻の指輪をはじめ、かき集められる家財道具をすべて売って現金に換え、誰も住んでいない廃墟で避難生活を始めました。なけなしの現金が底をついてからは、近隣住民からもらう食糧でなんとか家族を食べさせていました。最近では、近所の人たちが子どもを見てくれている日中にムスタファさんが日雇いの仕事をし、わずかな収入を得ていますが、9人の子どもを育てるには到底足りません。

ムスタファさんと子どもたちが避難した先の村でも空爆は続いています。それでも、家を失ったムスタファさんは、廃墟とはいえ無償で屋根のあるところに住むことができ、いつでも故郷に帰れるこの村を避難先に選びました。もし空爆が激しくなり、ムスタファさんや子どもたちの身にさらなる危険が迫れば、再度の避難を余儀なくされ、せっかく築いた近隣関係や見つけた日雇いの仕事も失い、最低限の収入を確保することすら困難になります。

避難を繰り返す人々

焼け焦げたテントの残骸が並ぶ避難民キャンプ

空爆を受けた国内避難民キャンプ(2016年1月)

ムスタファさんのような状況に置かれている人は、シリア国内では他にも大勢います。長引く紛争の間に蓄えは底をつき、身一つで避難を余儀なくされて、洞窟や木の下、路上で暮らさざるを得ない人もいます。また、避難した人たちが集まって生活するキャンプが空爆の標的となったり、避難先で新たに戦闘が始まったりと、自分や家族の安全を確保できず、繰り返し避難を強いられている人たちも多くいます。

さらに、自分の家を離れたくない、もしくは離れられない人たちが、空爆を恐れ、自宅のそばに防空壕のような穴を掘ってそこで生活している場合もあります。

貧困、飢え

国連の発表では、今シリア国内にいる3人に1人が深刻な食糧不足に陥っています。紛争の結果、国内の食糧生産が著しく減って食糧価格が以前と比べて3倍以上になったこと、食糧を運搬するための燃料が高騰したことなどを背景に、3世帯に1世帯は食糧を買うために借金をしています。ほかにも家を売ったり、子どもを働かせるなどの手段に頼らざるを得ません。子どもはそのしわ寄せを大きく受けていて、食べさせることができないからと、未成年の娘がやむなく嫁に出されたり、18歳未満の男の子が兵士となったりしています。

少しでも負担を軽くするため

AARは、ムスタファさんのような状況にある紛争下の人々の命を少しでも支えるため、シリアの人たちに馴染みのある食品を中心に、保存ができ、栄養価の高い食糧を配っています。2014年10月から現在までに約11万人に食糧を届けました。こうした支援によって、「一度も食事を取らない日がなくなった」「(食費の負担が軽くなった分)医療費を捻出できるようになった」「食糧を買うために借金をすることがなくなった」などの声が届いています。

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路上にテントを張って暮らすシリア人に食糧を渡す(2015年12月)

5,000円で1家族に半月分の食糧を届けられます

AARが配っている以下の食糧パッケージ1箱は、約5,000円で揃えることができ、5人家族の食事を半月支えられます。

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シリアで配っている食糧パッケージの内容(2015年11月)

  1. 米(5キロ)
  2. バターオイル(2キロ)
  3. アプリコット・チェリージャム(1キロ)
  4. 油(2リットル)
  5. オリーブオイル(1リットル)
  6. レンズ豆(6キロ)
  7. トマトペースト(1缶、830グラム)
  8. 小麦粉(5キロ)
  9. ヒヨコ豆(1缶、1.6キロ)
  10. 挽き割り小麦(2キロ)
  11. 白インゲン豆(1缶、1.6キロ)
  12. ツナ缶(6缶、960グラム)
  13. 鶏肉ソーセージ(1缶、680グラム)
  14. ゴマ製菓子(500グラム)
  15. ナツメヤシ(500グラム)

2016年に入って成立したシリアの停戦合意により、空爆や戦闘の頻度は減っていますが、まだすべての武装勢力による攻撃が停止したわけでも、終戦に向けた具体的な道が明示されたわけでもありません。政府軍や反政府武装勢力、テロリストグループ、外国の軍隊と、無数にいる紛争当事者が完全に攻撃を止めるまで、シリアの人々がその暴力の犠牲になり続けます。紛争が終結した後も、荒廃した国土で人々が生活を再建するまで、長い年月を要します。

AARの活動は、皆様のご寄付で実施しています。シリア国内で一人でも多くの人に支援が届けられるよう、ご協力お願いいたします。

※シリアの政治情況に鑑み、登場する難民やその関係者に不利益の生じないよう仮名を使うとともに、活動地域の詳細を省略しております。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 本多 麻純(ますみ)

2011年9月より東京事務局に勤務し、ハイチ事業やシリア難民支援事業を担当。米国の大学で文化人類学を専攻し、民間企業勤務を経てAARへ。(東京都出身)

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