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ミャンマー:ゼロからの村づくりを支えて...

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2000年より、ミャンマーの最大都市ヤンゴンで障がい者支援に取り組んできたAAR Japan[難民を助ける会]。2013年には南東部のカレン州にも事務所を開設し、地雷被害者を含む障がい者とその家族が住みやすい環境を整え、地域住民の障がいへの理解を深めるための活動を展開しています。

繰り返されてきた内戦―漂う悲壮感

タイとの国境近くに位置するカレン州は手つかずの自然が多く残るのどかな地域。ここに暮らすカレン民族は独自の文化や言語を持ち、音楽や舞踊を楽しむとても穏やかな人々ですが、一方でカレン州では2012年まで約60年もの間、ミャンマー政府と民族武装勢力の間で内戦が繰り返されてきました。自分の村を失い、戦火を逃れるために約25万人が国内避難民となり、さらに約13万人がタイ国境沿いの難民キャンプで生活しているといわれています。また、激しい内戦の間に埋設された地雷の被害は深刻で、内戦終結後も長く人々を傷つけ、生活に影響を及ぼしています。長年の紛争が収まった今でも、カレン州には内戦から逃れた国内避難民や障がい者が多く住む村がいくつか存在しています。私たちが活動しているのはそんな村の一つ、ティサエイミャイン村です。この村は、州政府により内戦で行き場を失った94名の地雷被害者を含む約1,500名の国内避難民が村民として選ばれ、人工的に作られました。3年前に私たちが事業を開始した当初、村は乾いて土ぼこりが舞い、家の他には木も畑もなく、人々は政府からの配給だけを糧に生活していました。

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キノコ小屋にて。障がい者とその家族の重要な収入源になっています(以下写真はすべてティサエイミャイン村、2016年1月12日)

村全体に戦後の悲壮感が漂うなか、私たちはまず給水槽を設置・修繕し、配水管を交換して、村人に安全な水を届けました。また公衆トイレ75基を設置し、手洗いやトイレを利用することの大切さを伝える講習会やイベントを開催。その結果、村の衛生環境が大いに向上しました。道路の舗装や橋の設置も行い、さらに、村には職に就く機会がなかったことから、障がい者とその家族、戦争未亡人を対象にキノコ栽培を通じた収入向上事業を実施(右写真)。障がいへの理解を深める啓発ワークショップ・イベントも開催しました。

村人の意識に変化が...

ティサエイミャイン村はもともと人工的に作られたため、住民には村に対する愛着心がありませんでした。これまで安心で安全な環境で生活したこともなかったため、平和になっても生きる希望を見いだせずに朝からお酒を飲む人も多く、ワークショップやミーティングなどを開催しても、遅れてくる人や途中で帰ってしまう人がいました。また村を取り仕切る人がいないため、問題に直面しても自分たちで解決するという発想がありませんでした。しかし、1年、2年と活動を続けていくうちに、少しずつ村への愛着が芽生え、互いに協力していくようになるのがはっきりとわかりました。

私たちは、AARが整備した水道施設を村人たち自身が維持・管理できるよう研修を実施、配水管などの修理やメンテナンス方法も伝え、水管理委員会を組織しました。委員会は定期的に会合を開き、貯水槽や公衆トイレの掃除、修理が必要なところなどについて話し合いを行います。その中でルールを作り、各居住地での責任者を決め、定期的な掃除や近所への手洗いの呼びかけなどスケジュールを作成、実行しました。はじめのうちこそAARのスタッフの働きかけなしには会合も、活動も行われませんでしたが、徐々に住民が主体となり、施設の修繕(下左写真)を行うだけにとどまらず、自分たちだけで将来の計画を立て、新しい水源から水を村に引いてくる事業を実施するまでになりました。また、村全体に平等に水が届くよう、選ばれた責任者が毎日水の管理を行うようになりました。おかげで村全体に水がいきわたり、使用できる水量も増え、皮膚病や感染症を引き起こす恐れが減少しました。さらに、家庭菜園や植林をすることもできるようになり、村全体が見違えるほど青々としてきました。

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配水管を修繕する村民(2016年2月24日)

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給水タンクも満タンです(2016年2月29日)

障がい者が暮らしやすい環境を

新しく作られた村であるティサエイミャイン村は、そのまわりに昔からある村とは話す言語が違います。また、地雷によって身体に障がいのある住民が多い同村は、周囲の村からの偏見の目にさらされ、積極的な交流はありませんでした。しかし、このような状況も、ほかの村と一緒に障がいへの理解を深めるためのワークショップや勉強会、イベントを実施することで変わっていきました。

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イベントでは地雷被害者を含む障がい者とその家族がオリジナル・ソングを3曲披露しました(2016年1月27日)

12月3日の国際障がい者の日にあわせて行われたイベントには、ティサエイミャイン村や近隣の村の住民260名が参加。障がい者が抱える問題をより身近に感じてもらおうと、ミャンマー国内で活動する障がい者支援団体から講師を招き、体験談などを語っていただいたうえで、障がいに関するクイズや障がいを疑似体験するゲームなどを実施しました。ティサエイミャイン村の地雷被害者を含む障がい者とその家族らがオリジナルソングを披露する場面もありました(右写真)。また、村のリーダーたちや学校関係者を対象に講習会を開催。それぞれの村や学校で障がい者を受け入れる環境をつくるため、障がい者への技術訓練、毎年近隣の村が合同で国際障がい者の日のイベントを実施するなどのアクション・プランを策定しました。こうしたイベントの機会だけではなく、ティサエイミャイン村でキノコを栽培していることをほかの村の住民が聞きつけ、定期的に買いに訪れたり、隣の村で祭りがある際には大量に注文が入ったりと、日常的にも交流が生まれるようになりました。

こうして、内戦で行き場を失った人々が、ティサエイミャイン村の村民として自分たち自身で生活の環境を整え、さらに近隣の村と交流を深めて再定住することに、私たちは大いに貢献できたと自負しています。AARはこれからも村人と話し合いながら、地雷被害者を含む障がい者とその家族が暮らしやすく、また積極的に地域社会に参加・貢献できる環境を整えるべく、支援を続けていきます。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

ミャンマー・パアン事務所 本川 南海子

2013年4月より2016年4月までミャンマー駐在。イギリスの大学院で農村開発を学び、卒業後NGO職員としてインドで有機農業支援に携わる。その後青年海外協力隊を経てAARへ。神奈川県出身

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