ミャンマー:誰もが安心して暮らせる村を目指して
ミャンマー最大の都市・ヤンゴンから東へ車で6時間走り続けると、突如岩山が表れはじめます。その先に広がるのが、隣国タイとの国境沿いに伸びる、カレン州です。この地域ではミャンマー政府軍とカレン民族武装勢力の戦闘が60年以上続きましたが、2012年に停戦協定が結ばれ、ようやく基本的な生活基盤の整備が始まりました。AAR Japan[難民を助ける会]は2013年からこのカレン州で、地雷被害者を含む障がい者も安心して暮らせるように、給水施設の整備や道路の補修などに取り組んできました。昨年9月からは、3区にまたがる15の村で新たな取り組みを始めました。障がい者が抱える問題に障がい者自身だけではなく地域社会が立ち向かい、ともに解決策を探る村づくりです。孤立しがちな障がい者が排除されることなく社会で活躍できる場を作ることを目指しています。
全世帯を訪問、一軒一軒話を聞く
一人ひとりに個性があるように、障がい者が日常生活で直面する問題も十人十色です。まずは状況を把握するため、15村2,089世帯すべてを訪問し、障がい者やその家族、地域住民に話を聞くことから始めました。
障がい者やその家族はそれまで村の集まりに参加することも少なく、障がい者が家族以外の人と話をする機会もあまりありませんでした。家の近所に同じように障がいのある子が住んでいても、互いに相談することもなかったそうです。障がい児がどうやったら学校に行けるのか、障がいがあってもできる仕事があるのかなど、それぞれに悩みを抱えていても情報がなく、「どこに聞いたらいいのかわからない」という声もありました。一方、障がいというのがどういうものなのか、どんなことができて、日常生活でどんな困難を抱えているのか、知らないという住民が多くいました。そこでAARは、障がい者とその家族同士を結びつけ、さらにほかの地域住民ともつながって情報を共有できるように、「障がい者世帯連絡会」を設立しました(右上写真)。
また障がい者一人ひとりの抱える問題の解決策を探るために、障がい者の家族や、村の中で指導的な立場にある村長や学校の教員などが集まる場を設け、村の中でできることをまとめた活動計画を作成しました。カレン州では日常生活の多くが村単位で営まれ、学校の修繕やイベントを担当する学校委員会、病人を医療機関に運ぶ保健委員会など、役割を分担した委員会が設置されています。活動計画は例えば、学校委員会が障がい児が就学できるよう学校や家に働きかける、保健委員会がAARとともに障がい者の家庭訪問をするなど、それぞれの委員会が取り組みました。
「私たちの出番だ」
AARは障がい者世帯連絡会とともに、バリアフリー施設の整備や障がいについての啓発に取り組みました。バリアフリー化した学校(左写真)では教員の理解も深まり、村と学校が協力して、障がいがある子も学校に通い続けることができるように話し合う試みも始まっています。
「障がい者がどんな困難を抱えているのか」、「地域住民としてどんなことができるのか」など、障がいについての理解を深める啓発活動にはのべ8,000人以上が参加(下写真)。それぞれの村での独自の啓発活動も広まり、障がい者が抱える問題に地域社会全体で答えていけるような、地域のつながりや問題解決の基盤が少しずつ芽生え始めています。そして、障がいのある方自身の変化も見えてきました。
視覚障がいのある父親の杖をひっぱって案内する子どもや、脚の悪いお祖母さんをバイクに乗せてきた若者。「AARが来るまでは村の集会があっても声をかけてもらえなかったんだよ」。AARが開催する啓発活動の開始時間が近づくと、会場の周辺は途端に賑やかになります。障がい者たちが「私たちの出番だ」と、他の住民や家族たちとともに集まってくるのです。こうしたイベントを開催するときは場所や移動手段も考慮し、障がいがあっても参加しやすいようにしています。外出することが楽しみで、着飾って来るようになったという子もいます。
心配顔が笑顔に
家族にとっても嬉しい発見や驚きがありました。昨年9月、知的障がいがあるワーロウくん(右写真中央)の家を訪問したときのことです。ワーロウくんの両親はタイに出稼ぎに行っているため、叔母のノーポウさん(同写真右)と二人で生活していますが、てんかんの症状もありいつ発作を起こすかわからないため、ノーポウさんはワーロウくんが一人でどこかへ行くことをとても心配していました。しかし、初めは叔母のノーポウさんの横で興味なさそうに座っているだけだったワーロウくんに話しかけると、家の近くの川へ水汲みにいったり、竹の子を採りに行ったり、料理を手伝ったり...毎日少しずつ、ノーポウさんのお手伝いをしていることがわかりました。一生懸命に語るワーロウくんを見ているうちに、ワーロウくん一人では何もできないと思い込んでいたノーポウさんの心配そうな顔が、いつの間にかやさしい笑顔に変わりました。
同じく知的障がいのあるテインタンくん(左写真奥)も、どんな質問にもテインタンくんに代わって答えようとする祖母サインティンさんの後ろに隠れて、大人しく遊んでいました。「この子は話すことや外出することが好きではなく、家の手伝いもしたがらないの」とセインティンさんは不満をこぼしました。しかし私たちがテインタンくんに話しかけると、「お金を稼ぎたいよ。車が好きだから。運転?できるよ」と、心配そうに見守る家族をよそに、嬉しそうに話し出したのです。
それから10ヵ月後、障がい者世帯連絡会の集まりにやってきたテインタンくんが「自転車を買ってもらったよ」と笑顔で話してくれました(右写真、右から2番目)。「ちゃんとおばあちゃんを手伝うようになったの?」と聞くと、横をぷいっと向いて黙るテインタンくんの隣で、今度はお祖父さんが「木を切って薪を作ったり、水を運んだりして、私の手伝いをしてくれているよ」と笑顔で答えてくれました。テインタンくんは今では自転車に乗って隣の村の友だちに会いに行ったり、届け物を持って行ったりしているそうです。
AARの取り組みは8月末で1年の区切りを迎え、それぞれの村ではこれまでの活動を振り返り、区ごとに今後の計画をまとめました。AARは今後も障がい者を含めた誰もが安心して暮らせる村づくりに向けた取り組みを続けていきます。
この活動は皆さまからのご寄付に加え、外務省日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
ミャンマー・パアン事務所 久保田 和美
2014年9月より現職。在カンボジア日本大使館勤務を経て、AARでミャンマー・サイクロン被災者支援などに携わり、政府系開発援助機関勤務の後、再びAARへ。千葉県出身