7月9日 南スーダン独立記念日に寄せて
6月27日、内戦状態の南スーダン共和国で、対立していた大統領と副大統領とが和平合意に調印しました。間もなく迎える7回目の独立記念日を、人々は平穏の中で祝うことができるのか、まだ予断を許しません。
独立前、北部スーダンとの20年以上にわたる内戦が終結した2005年に、AARは南部スーダンに事務所を開き、難民の帰還と再定住を支援するため、活動を開始しました。2011年の独立を経て、再びの内戦勃発までを、この国でともに過ごしました。
2013年末の騒乱以降は、南スーダン国外からの遠隔管理で事業を続けていましたが、事態の落ち着く目途が立たず、やむなく撤退。現在は、大勢の南スーダン難民が身を寄せる、ケニアとウガンダで、支援活動を続けています。
両国での活動を統括する雨宮知子が、南スーダンの子どもたちへの思いを語ります。
希望に満ちた独立から一変
7年前の2011年7月9日、スーダン南部が長い内戦の末に、南スーダン共和国として独立の日を迎えました。当時まだアフリカに足を踏み入れたこともなかった私は、歴史や情勢についてほとんど理解もないまま、「世界で一番新しい国の誕生」と希望に満ち溢れたニュースを聞いたことだけが記憶に残っています。
しかし、それからわずか2年半後、2013年12月に政府軍と反政府勢力の間に衝突が起こり、南スーダンは再び戦闘状態に。国境を越えて多くの難民がケニア北西部カクマ難民キャンプに流入したのを受け、AARは同キャンプでの支援活動を開始しました。私は2015年から東京事務局で、南スーダン難民支援を担当することになりました。さらに2016年には戦闘の激化に伴いウガンダへの南スーダン難民流入が急増したため、AARはウガンダでの難民支援活動も開始。それに伴って私は2017年からウガンダに駐在し、次いでケニアの駐在を経て、今は両国を行き来して活動を統括しています。
国の将来を担うはずの子どもたちは...
AARは現在、ケニア、ウガンダ両国の難民キャンプ・難民居住地において教育事業を実施しています。小学1年生のあどけない子どもから、背丈も大きく教員や保護者と見間違えてしまうような風格ある20代の青年まで、初等校・中等校で勉学に励む青少年たちを支援しています。避難したときの話を聞くと、目の前で親を失ったり、性暴力被害を受けたり、目をつぶりたくなるようなさまざまな辛い経験を乗り越えてきている彼らですが、将来の夢を聞くと、弁護士、医者、教師、ジャーナリストなど、将来への希望に目を輝かせます。
緊急人道支援と言うと、水や食糧、医療など「命を救う」ための支援や、最低限の衣食住を満たす支援がイメージされ、教育は「本当に緊急時に必要な支援なのか」と疑問を持たれることもあります。しかし、5年、10年と長期にわたって続く紛争が増えている昨今、難民として生活する期間も長期化しています。特にカクマ難民キャンプは1992年に設立されたキャンプ。何年にもわたり難民キャンプで過ごしている子どもたちや、キャンプで生まれ、祖国を知らない子どもたちさえ少なくありません。その子どもたちにとって、教育を受けるというのは贅沢なことなのでしょうか。
何も持たずに来た子たちが、教育を持ち帰れるように
難民キャンプ/居住地で働く教員がよく口にするのが、「子どもたちは何も持たずにここへ来た。でもここから母国に帰る時には、大事なものを持って帰れるようにしてあげたい」という言葉です。そして、「それが教育だ」と。現在、難民として隣国で暮らす南スーダンの18歳以下の子どもは150万人にのぼります(2018年5月末時点、UNHCR)。この150万人の子どもたちが、彼らが青少年期に誰と出会い、何を見、何を聞き、何を学び、何を感じて、何を得るか。それは南スーダンという国の将来に大きな影響を与えると考えています。難民として過ごすこの日々が、彼らの人生の空白期間にならないように、そんな思いで活動を続けています。
南スーダン難民支援の現場にいると、当然、南スーダン人に会ったり、南スーダンの話を聞くことが多くあります。私は一度も足を踏み入れたことがない南スーダン共和国。ケニア、ウガンダ両国の南スーダン国境で活動する自分にとって、近くて遠い国。一日でも早く南スーダンに平和が訪れ、難民の方々が帰還できることを願うとともに、ケニア・ウガンダで「難民」として出会った子どもたちが、祖国の将来を担っていけるよう願っています。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
ケニア・ウガンダ地域統括 雨宮 知子
2017年1月から現職。企業勤務を経て、青年海外協力隊員としてニカラグアで活動後、2012年11月にAARへ。大阪府出身