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ミャンマー避難民:大規模な避難から1年、厳しい状況続く

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ミャンマー西部ラカイン州で2017年8月25日、治安部隊とイスラム系少数派の衝突が発生し、隣国バングラデシュに数十万規模の避難民流入が始まって間もなく1年。AAR Japan[難民を助ける会]は同年11月、バングラデシュ南東部コックスバザール県の避難民キャンプで緊急支援を開始しました。大規模な流入からおよそ1年を経たキャンプの現状、避難民の人々の声、そしてAARの支援活動について報告します。

AARが設置した井戸を大切にする人々

数キロ四方に60万人超が密集する通称"メガキャンプ"の中心部クトゥパロン避難民キャンプ。ビニールと竹材の粗末なテントが立ち並ぶ一角で、AARが2018年1月~6月に設置した22本の井戸の1つが活躍していました。

井戸の近くに立つアブ・アフマドさん、妻、娘一人、孫の3人(男の子)。井戸のすぐ近くには家が並び子どもや大人が10名近くいる

AARが設置した井戸に並ぶアフマドさん一家。故障のたびに住民が協力して修理費を工面し、大切に扱っています(クトゥパロン避難民キャンプ、2018年7月)

「この井戸を約50世帯が使っています。飲み水や調理、洗濯、水浴びまで私たちの生活になくてはならない大切な井戸です」と話すのは、立派な白髭を生やした元高校教師のアブ・アフマドさん(75歳)。アフマドさんは2017年8月末、最も激しい弾圧を受けたラカイン州モンドー地区ボリバザールから妻と3人の息子、4人の娘、20人以上の孫たちと一緒に4日間歩き、国境のナフ河を渡ってバングラデシュ側に逃れてきました。家族のうち三男(37歳)は2年前、警察に連行されたまま消息がわからないと言います。

キャンプには国連や支援団体によって無数の井戸が設置されていますが、余りに多くの世帯が頻繁に使用するため故障が多く、機能しなくなり放棄される例が少なくありません。この井戸も何度か故障しましたが、そのたびに「マジ(船頭)」と呼ばれる地区の住民代表が、周囲に呼びかけて資金を集め、部品を交換するなど修理していたのです。「一世帯当たり50タカ(約65円)ずつ出し合いましたが、私は家族が多いし、少しばかり現金があったので800タカ(約1,040円)を2回寄付しました。苦しい環境で暮らしているので、互いに助け合わないとやっていけませんからね」

AARは2018年1月から半年の間に井戸22本のほか、トイレ4基と水浴び室2基を組み合わせた共用施設22ヵ所をクトゥパロン、およびバングラデシュ最南端のナヤパラ両キャンプに建設しました。その後も施設を回って故障や損傷を確認し、メンテナンスを継続しています。

はじけるような笑顔を見せる少年4人。その背景には所狭しとテント(それぞれの家)がひしめき合っているのが見える

テントが密集するクトゥパロン避難民キャンプ。子どもたちにも少しずつ笑顔が増えてきました(2018年7月)

遠のく帰還「今のままでは帰れない」

国連機関などの集計によると、コックスバザール県内の避難民は2018年8月上旬時点で91万9,000人。これは2017年8月末以降に流入した70万6,000人に、以前から滞在する避難民を加えた数ですが、実際には100万人を超えると見られます。ミャンマー・バングラデシュ両政府は「2年以内にミャンマーへの帰還を完了する」として、今年1月下旬から帰還を開始することを発表しましたが、実際には帰還プロセスはまったく動いていません。

すぐ手前ではTシャツが陳列されている 大勢の人え賑わっている

避難民キャンプの長期化に伴い、食料・衣料・雑貨店が立ち並ぶようになりました(クトゥパロン避難民キャンプ、2018年6月)

避難民の人々にミャンマーに帰りたいか尋ねると、異口同音に「もちろん帰りたいが、今のままでは帰れない」と訴えます。彼らが求める帰還の条件は、1)ミャンマー政府が自分たちの存在を認め、ほかの国民と平等な立場で国籍を付与すること、2) 失われた財産や土地の返還、および安全の保障、3)国連や援助機関がラカイン州に常駐すること。いずれも現時点で実現は困難と見られます。そのため「身の安全が守られないままラカイン州に帰るわけにはいかず、いくら環境が劣悪でもキャンプで我慢するしかない」というのが実情です。女性たちの中には「ここにいたほうが夜も安心して眠れるので、ミャンマーには帰りたくない」と話す人もいます。

2017年11月ごろと現在を比べると、キャンプ内の通りにはバングラデシュの商人や一部避難民が営む食料や衣料・雑貨店、簡易食堂、散髪屋などが急増し、国連や援助団体が建設する仮設学校や診療所といった公共施設、道路や排水設備など半恒久的な構造物が目立つようになっています。つまり、この2~3年で数十万人規模の避難民がミャンマーに帰還するという雰囲気は皆無であり、問題が長期化するのは間違いありません。

オレンジやピンクの鮮やかなドレスを着ていて綺麗 5人の少女が恥ずかしそうに笑顔でこちらを見ている

ラマダン明けの祝日に色鮮やかな衣装や髪飾りで着飾って楽しむ子どもたち(レダ避難民キャンプ、2018年6月)

他方で、キャンプ周辺のホストコミュニティ(避難民受け入れ地域)も貧しい世帯が多く、人口の数倍の避難民が流入したことで不満が高まっています。「里山の薪や水源を避難民に占有されてしまった」「日雇い仕事を避難民に奪われて現金収入が途絶えた」「キャンプでは食料や生活用品が支給されるが、我々には何の恩恵もない」などの声が聞かれ、支援にあたっては、避難民キャンプだけでなく地域住民への配慮が求められます。

女性と子どものフレンドリースペースを建設

AARは2018年6月から1年かけて、引き続きクトゥパロンおよびナヤパラ、レダの各キャンプにトイレ310基、水浴び場130基、井戸46本を建設するほか、避難民受け入れ地域の貧困世帯向けに同じくトイレ52基、水浴び場52基、井戸24本を設置する計画で、7月中旬に建設工事を始めました。水・衛生分野の支援は最もニーズが高く、それを受け入れ地域にも広げていきます。

加えて、避難民の中でもより脆弱な立場にある女性と子どもを保護するために、ナヤパラ、レダ両キャンプにウーマン・フレンドリースペース(WFS)、チャイルド・フレンドリースペース(CFS)を1ヵ所ずつ、計4施設を開設します。WFSは集まって楽しんだり学んだりする機会がない女性たちを対象に、衛生啓発や手工芸など女性だけで生産的な活動に取り組む場を提供するとともに、性暴力被害や家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)に対する心理的サポートを行います。CFSでは5~18歳の子どもを対象に、インフォーマルな基礎教育(ミャンマー語、英語、算数、音楽、図画工作など)、人身売買や薬物犯罪の被害を防ぐための活動を実施し、子どもたちの健全な成長を支えます。

避難民キャンプ地は5月から10月ごろまで続く雨季・モンスーン期に入って連日のように雨が降り、キャンプの一部で洪水や土砂崩れが発生しています。先行きが見えない厳しい状況にあって、避難民の人々は忍耐強く支え合って暮らしています。緊急支援の段階を経て、避難民支援はこれからが正念場です。引き続き、皆さまの温かいご支援をお願い申し上げます。

雨が降るなか幼児をかかえ、傘をさす女性

雨季に入って雨が続くナヤパラ避難民キャンプ。洪水や土砂崩れが心配されています(2018年6月)

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【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

バングラデシュ・コックスバザール事務所  中坪 央暁

大学卒業後、新聞社で特派員、編集デスクを経験。ジャーナリストとして平和構築支援の現地取材に携わった後、2017年12月にAARへ。栃木県出身

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