タジキスタン:根付きはじめた「すべての子どものための教育」
タジキスタンでは、障がいのある子どもの多くは全寮制の学校で学びますが、その定員数には限りがあります。また、寮生活に抵抗を感じる障がい児や保護者もいるため、学校に通えず社会との接点を持てないまま自宅で過ごす子どもや、一般の学校に通いながらも障がいに配慮した教育を受けられない子どもが多くいます。
そこで、AAR Japan[難民を助ける会]は現地の学校や団体と協力し、障がいの有無に関わらずすべての子どもがそれぞれの特性や障がいに応じた配慮を受けながら地域の学校で学べるインクルーシブ教育(Inclusive Education:IE)に取り組んでいます。この2年間でAARがヒッサール市の4つの学校で実施してきた活動の成果を、タジキスタン駐在員の山根利江がご報告します。
教育を受けられる子どもが着実に増えています
タジキスタンでは、障がい者への差別や偏見などから家族が障がい児を隠す傾向があったり、障がいを的確に診断できる医療従事者が少ない状況もあり、障がい児の人数を行政が正しく把握するのは容易ではありません。ヒッサール市教育委員会によると、同市内に住む障がい児の数は1,017名とされています(2018年12月AARの聞き取り情報)が、数に含まれていない障がい児も多くいると見込まれます。
AARは2014年まで首都ドゥシャンベの学校を中心に活動してきました。2017年10月からは郊外のヒッサール市に活動の場を広げ、「2番学校」「5番学校」「15番学校」「24番学校」の4つの拠点校に学習支援室を開設し、IEを実施してきました。拠点校に通う子どもたちの障がいは、知的、聴覚、視覚、言語、学習、身体などさまざまですが、本人や保護者の希望に添えるよう柔軟に受け入れ、できる限り一人ひとりの子どもの特性に配慮した支援をしています。2019年4月までに合計113名の障がい児に教育の機会を提供することができました。
2番学校から広がるIEの輪
2番学校はこれまでに合計で46名の障がい児を受け入れており、これは拠点校の中で最多です。その背景には、障がい児を受け入れようという学校全体の姿勢と、学習支援室を担当するベテラン教員のオルゾグル先生とシャミグル先生の存在があります。両先生への子どもたちと保護者の信頼は厚く、先生方の授業を受ける子どもの顔は、いつも生き生きとしています。先生方の熱意と指導力により、子どもたちの読み書きや計算の能力は着実に向上しており、それに感動した保護者がほかの障がい児の保護者や市の教育委員会に子どもたちの成長ぶりを伝え、同校に通いたい児童が増える、という好循環が生まれています。
また、学習支援室から普通学級へ移る障がい児も増えており、現在2番校に在籍する障がい児の半数以上は普通学級でほかの児童や教員とともに過ごしています。また、9名の障がい児は、2番学校の学習支援室に通学後、希望する自宅の最寄りの普通学校の普通学級へ転校しました(2019年4月現在)。障がい児が拠点校からほかの学校へ転校するにあたり、転校する先の先生が、どうやって障がい児に接していけばよいかを事前に2番学校や現地提携団体へ学びに来ることもあります。拠点校からIEに関するネットワークが地域に着実に広がっています。
革新的な5番学校
5番学校は、拠点校の中で一番革新的な学校です。この事業を開始する前、アヒリディン校長はIEの必要性に共感を示しつつも「教員の負担が増えないか心配」「医療者がいないのに重度の障がい児を学校に受け入れたら責任の所在はどうなるのか」などと発言をすることが多くありました。しかしその後、AARが主催した、IEに関するさまざまな研修や日本でのインクルーシブ教育の現場視察で学びを深め、今ではIE推進のためのさまざまな活動を同校で自主的に展開するようになりました。
今年の3月には、校内でIEを広げようと8~11年生の男女10名から成るボランティアグループが結成されました。同校では以前から校長の発案で生徒の有志が各教室を回り、「人間は誰もが大切な存在である」「困っている人がいたら手を差し伸べよう」などと呼びかける活動を行っていたそうですが、このボランティアグループも同様の活動を行うほか、学習支援室から普通学級に移った障がい児が困っていたらサポートするなどの活動もしています。学習支援室の責任者である副校長は、事前にボランティアグループのメンバーに対し、「私たちがしているのはチャリティ活動ではない。すべての人間は平等に人権があり、障がい児が一緒に学ぶのはごく当たり前のことである」と説明をされていたそうです。ボランティアメンバーの子どもたちは「障がい児にとっても過ごしやすい学校にしたい」「遠慮しないでほしい」「普通に友達になりたい」と話しています。5番学校の先生と生徒からこのような活動が生まれたことが大変嬉しく、応援の意味を込めて、AARからボランティアメンバーに活動用のTシャツ10枚を提供しました。校長先生は「同じ立場の生徒目線で呼びかけることが、子どもたちに一番響くと思う」と頼もしく語ってくれました。
学習支援室を柔軟に活用・15番学校
15番学校は、アクセスの良い場所にあることもあり、約半年間で新たに24名の障がい児を受け入れています。この学校では、障がい児だけでなく、障がいがなくても普通学級での勉強についていきにくい子どもたちにも学習支援室が積極的に利用されており、学習支援室が、障がいの有無に関わらずすべての子どもたちの学習を支援する、という役割を果たしています。
また、学習支援室に子どもを固定化しないという意識が学校内でしっかり共有されており、学習支援室と普通学級を併用する子どもが多いこともこの学校の特徴です。
歩行に障がいのあるザイナブさん(10歳)は、以前は学校が遠すぎるという理由で通学を断念していましたが、AARの働きかけで15番学校に通うようになりました。9歳になるまで一度も学校に通ったことがなかったため、まずは学習支援室で学び始めました。ザイナブさんは、入学後の数ヵ月で読み書きを覚え、友達ができたことをとても喜んでいます。ザイナブさんが通学するにはタクシーを使います。交通費が1回往復で10ソムニ(約120円)となり大きな負担となるため、毎日通うことはできませんが、家族や親せきの付き添いで週3回通っています。ザイナブさんは勉強を続け、裁縫の技術を身に着けて、将来はデザイナーや仕立て屋になりたいと夢を膨らませています。
子どもに寄り添う24番学校
24番学校は、市の中心地から遠く離れた場所にあることや、校長が年に3回も交代したことにより、現在の障がい児の受け入れ人数はまだ12名と少なめです。しかし、教員や保護者の熱意とその丁寧な支援により、重度とされる障がい児も、それぞれの希望やその日の体調に合わせて通っています。
2年前にAARが活動を開始するにあたり、家庭訪問をした障がい児の一人が、ハサンくんでした。当初、ハサンくんの周囲には「(ハサンくんは脳性まひのため)寝たきりだし歩けないし話せないから、学校には絶対に通えないだろう」「IEだからと言って学校に行けばいいというわけではない」などと言う声もありました。しかし、ハサンくんの強い希望と、父親の熱意により登校が実現しました。17歳になった現在は月に数回は24番学校の学習支援室に通い、ほかの子どもたちとともに過ごす時間を持っています。以前は鉛筆を握ることすらできなかった彼が、現在は大きな文字なら書けるようになり、本人はもちろん、両親も先生も喜んでいます。ハサンくんは自分の希望が叶い、とても嬉しそうです。
ズフロさん(17歳)は2018年11月から24番校に通い始めましたが、あるとき突然学校に行かなくなってしまいました。母親は理由を言いませんでしたが、学校や通学路などで嫌な目に遭っていたのかもしれません。心配になった教員はズフロさんの家庭を何度も訪問し、相談を受けたAARも家庭を訪れ、何か気になることがあれば一緒に解決していこうと繰り返し伝えました。しばらく経った2019年の3月に行われた学校でのイベントに参加するため、久しぶりにお母さんと学校に来たズフロさんの姿に、先生も私たちも大喜びでした。先日、4月の出席状況の確認にAARが24番学校を訪れると、ズフロさんは、4月はなんと皆勤賞でした。先生方の継続的なサポートにより、学校が自分の居場所であると感じてくれたようです。保護者が安心して送り出せる、子どもが安心して通える学校となるよう、引き続き見守っていきたいと思います。
このように、各校の特色や強みはさまざまですが、それぞれの学校の校長と教員や子どもたちが、自分にできることを着実に実践し、ヒッサール市にIEが根づき始めていると感じています。課題や改善点を挙げればきりがありませんが、できることからやっていこうと関係者がみんなで前を向いて活動しています。一人でも多くの子どもが、学びの機会や社会の中でともに過ごす機会を得て、持てる能力を最大限引き出していけるよう、AARは今後も活動を続けてまいります。
この活動は皆さまからのご寄付に加え、外務省日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
タジキスタン事務所 山根 利江
2016年11月よりタジキスタン事務所駐在。大学卒業後、英国の大学院で保健システム管理と政策を学んだ後、日本で看護師として勤務し、2013年5月よりAARへ。静岡県出身