インクルーシブな社会に向けて|第57回日本特殊教育学会で自主シンポジウムを開催
AAR Japan[難民を助ける会]はタジキスタンとカンボジア、アフガニスタンで、障がいの有無に関わらず、子どもたちが各々の特性に応じた必要な配慮を受けながら、ともに学ぶ機会を得られることを目指す「インクルーシブ教育」を推進する活動を実施しています。
2019年9月21日から23日の3日間、日本特殊教育学会第57回年次大会が、広島大学東広島キャンパスで開催されました。この大会の3日目に、AARは、昨年に続き、独立行政法人国際協力機構(JICA)で青年海外協力隊事務局技術顧問を務めておられる滝坂信一氏とともに、「開発途上国におけるインクルーシブな教育開発の提起するもの」(2)と題した自主シンポジウムを開催しました。AARの紺野誠二が報告します。
昨年のシンポジウムの様子はこちら
途上国の取り組みを通して日本の現状を考える
2006年に国連で採択され、2008年に発効した障害者権利条約には、締約国はあらゆる段階においてインクルーシブな教育制度を確保すべきと明記されています。日本を含む先進諸国においてもインクルーシブな教育制度のあり方が模索される中、AARが活動する開発途上国では、多くの子どもが初等教育や義務教育を修了できていません。
このシンポジウムは、そのような国でインクルーシブな教育開発を進める上での現状や課題を知ることで、日本の障がい児教育の発展における道のりや現状を外からの視点で見つめなおし、今後の方向性を考えるきっかけを提供することが企画趣旨の一つです。また、2015年から2030年の持続可能な開発目標(SDGs)の達成を目指し、日本も政府をはじめ各学校が世界各国とともに、インクルーシブな社会に向けた取り組みを行っています。その中で、日本が途上国に対してインクルーシブな開発を行うとはどういうことなのか、何を考えて活動する必要があるのかを考えることも目的です。
「インクルーシブな教育」、「インクルーシブな学校」、「インクルーシブな社会」とは
日本を含む世界各国が共生社会、いわゆるインクルーシブな社会を目指す中で、社会のシステムの一つである学校という公教育のあり方や役割を考える時に出てくるのが、「インクルーシブな教育」「インクルーシブな学校」です。日本では、養護学校が義務化された40年前に、「インクルーシブな教育」、つまり、誰も排除されない教育制度はほぼ達成しました。
しかしながら、障がいの有無により通う学校が分けられる分離型の教育であり、「インクルーシブな学校」ではありませんでした。現在は、その状況をどう変えていくか、地域の学校を、個々の子どもたちの学習ニーズに応じた形にどう作り変えるかを考える段階にきています。これに対して、AARが活動している途上国では、「インクルーシブな教育」が未だ達成できていないのが現状です。シンポジウムの進行役であった滝坂氏は、議論を深める上で、まずこれらの違いに対する理解が重要との認識を示されました。
その後、指定討論者の特定非営利活動法人「ユニバーサルデザイン・結(ゆい)」理事の荒柾文氏、大和大学教育学部教育学科教授の落合俊郎氏の2名から、それぞれ豊富な現場経験に基づいた議論の視座をご提供いただきました。
荒氏は、国連障害者権利条約について、多くの批准国において政府関係者は知っていても、下部組織まで伝わっていないと話されました。また、インクルーシブ教育は、例えば特別支援学級用の校舎を建てる必用がないなど、比較的コストが掛かりづらいと言われており、途上国の財政には合っています。その一方で、スロープが未設置といった物理的環境の制約や、教員の知識や意識の低さ、人種や宗教の問題に根差した偏見や差別などによって、障がい児が普通学校に受け入れられていない現実があるとのことでした。
そのため、専門的な知識の向上と、インクルーシブ教育や共生社会に対する理解の向上、この2つの観点からの教員研修は重要と指摘されました。さらに、教育の問題を「教育」の枠組みだけで考えるのではなく、インクルーシブな地域開発の一環として捉え、地域のさまざまな課題を関連付けながら、社会システム全体の中で障がいのある子どもの教育を考えるべきであると見解を示されました。
落合氏は今年の台風15号の際に、自身の出身地である宮城県では大きな被害はなかったものの、特別支援学校を含め、生徒が遠くから通学しているような学校では休校が相次いだことを例に挙げました。そして、もし子どもたちが近くの学校に通えていたら勉強できていたのでは、と感じたそうです。
また、同様の状況や、過疎地での人材不足により、必要な支援が受けられない方がいるなどの課題は、今後も増えていくだろうとのことでした。そして、日本でも、地域に根差したインクルーシブな開発という観点から、教育や福祉の機能を再構成していく必要性があると話されました。
また、日本の新しい学習指導要領は、小学校から高校までの各段階で以前よりも弾力的となり、子どもたちの多様な能力や関心に応えられる内容になっていると報告されました。同時に、それを実践していく上で不可欠なICT(情報通信技術)の教育への活用は、先進的な教育を進めるための取り組みとしてのみ捉えられがちなため、「多様な子どもたちの学習ニーズに応じるための活用」という、よりインクルーシブな視点をもって進めることが大事であると指摘されました。
途上国での地域に根差した取り組みから見えてくるもの
続いて、2015年よりカンボジアに駐在するAARの向井郷美が発表。カンボジアの教育制度や就学率などの現状を紹介しました。そして、AARが2013年から続けるインクルーシブ教育支援における、バリアフリー環境の整備、教員向けの研修の実施、地域住民への啓発等の取り組みや成果、また今後の課題を伝えました。
その後、アフガニスタン事業を担当する私から、アフガニスタン政府の教育方針や、障がい児を取り巻く社会的状況などを伝えました。AARの活動では、学校にスロープを設置するなどの環境整備、点字教科書の作成、県の教育局職員に向けた研修の実施など、取り組みを報告しました。また、活動を進める中で見えてきた課題やその対応策も発表しました。
AARの障がい者支援についてはこちら
カンボジアでの事例に対して、落合氏は、1970年代のイタリアでは経済状況の発展にもかかわらず、就学率が改善されなかったため、インクルーシブな教育へと方向性を転換した歴史的経緯を説明されました。例えば、障がい児も一緒に取り組む演劇を授業に取り入れ、音楽や技術、言葉を総合的に学んでいると紹介されました。また、インクルーシブ教育を目指すようになったことで、教員研修のあり方も変わったそうです。そして、インクルーシブ教育を進める上で鍵となる教員研修は、その内容や方法によっては「やはり分離教育が良い」という意識を持たせる可能性があることを指摘されました。
一方、福島県出身の荒氏は、東日本大震災の経験から、専門家などが不在の状況で頼りにできるのは地域の人だと実感されたそうです。そして、最後に頼りになるのは、ミシュランシェフ(専門家や高い技術を持った人)よりも、地域の母ちゃん(身近にいる人)が運営する食堂であると例えました。この「母ちゃん」が研修を受けて知識や技術の向上を図っていくこと、つまり、教員をはじめとする地域人材の活用の視点が欠かせない、と話されました。
アフガニスタンでの事例について、落合氏は、治安上の問題などにより、海外から援助者が入国できない国に対しての、ICTを活用した遠隔での支援方法を提案されました。また、アフガニスタンでのマドラサ(宗教学校)における障がい児受入れは、江戸時代の日本の寺子屋に似ていると印象を持たれたようです。日本では、近代教育が整備されていく中で寺子屋は閉鎖されましたが、現在でも塾などの形で存在していることを考えると、マドラサのような伝統的な教育の中で行われていることは注目に値する、とのことでした。
また、荒氏は、マレーシアでは全国約500ヵ所にあるCBR(地域に根差したリハビリテーション)センターに重度の障がい児も通っており、マドラサと似たような役割を果たしているのではと説明されました。地域に根差した形で存在する教育機能をうまく活用することも、国によっては必要、とのご指摘でした。
これらの意見を受け、滝坂氏は、日本が明治時代以降、それまでの教育機能を解体し、近代教育を整備してきたことに触れられました。そして今、日本でその教育機能をどのように再編成するか、地域にある資源をどう活用するかなどが議論される中で、カンボジアやアフガニスタンにおいて、さまざまな教育機能を学校や公教育という仕組みに集約させるのか、それとも、新しい教育機能の仕組みを作ることができるのか、という視点も重要であると述べられました。
インクルーシブな教育開発とは?
参加者からは、両国における就学前や乳幼児の段階、母親の妊娠時における支援制度、また、支援を受けている方々がAARに活動を任せきりになる可能性あるか、など、質問が挙がりました。さらに、インクルーシブ教育の方向性について、AARが目指す形があり、カンボジアやアフガニスタン国内でもさまざまな考えがある中で、どのように活動の方向性を決めているのか、と問いがありました。
これに対し、AARの向井からは、「カンボジア政府は障害者権利条約を批准しており、それに沿った方向性で活動を進めているものの、外部専門家が決めた流れに従っていることも多い」という実情を話しました。また、私は「個人としては、できる限りインクルーシブを進める方向性で行きたいが、基本的には各国が自国の方針によって主体的に方向性を定めていくべきだと思います。ただ、アフガニスタンの場合は、"教育戦略計画2017-2021"(2016年)の中で"教育制度を通してスキルのある、かつ、有能な市民を育成する"とあります。このような目標だけでは、障がい者が置き去りにされかねないリスクがあると思います」と回答しました。
インクルーシブな地域社会に向けて
個々の多様性を尊重することがインクルーシブ教育の根幹であると考えると、何をどのように学ぶかにも正解は一つではありません。AARでは、子ども一人ひとりが個性や尊厳を保ちながらともに学べる環境を作り出すインクルーシブ教育の理念をしっかりと伝えつつ、その国や地域にあった実践方法を現地の人々とともに考え、実行することが重要だと考えています。
そして、インクルーシブ教育はインクルーシブな社会なしでは成り立たないこと、地域をインクルーシブにしていくためには地域社会の資源を活用していくことが不可欠あること。今回のシンポジウムは、それらを再認識する機会となりました。
この自主シンポジウムは、来年に第3回を開催したいと考えています。AARは、今回のシンポジウムで得られた学びや問いを活かしながら、引き続き、各国で地域に根差したインクルーシブな教育体制の確立を目指して活動していきます。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 紺野 誠二
2000年4月から約10ヵ月イギリスの地雷除去NGO「ヘイロー・トラスト」に出向、不発弾・地雷除去作業に従事。その後2008年3月までAARにて地雷対策、啓発、緊急支援を担当。AAR離職後に社会福祉士、精神保健福祉士の資格取得。海外の障がい者支援、国内の社会福祉、子ども支援の国際協力NGOでの勤務を経て2018年2月に復帰。茨城県出身。