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2012年 夏募金のお願い―紛争や災害によって日常を奪われた方々へ

 
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紛争や災害に襲われた方たちへ、一刻も早く支援を届けるために。夏募金のお願い

世界中で頻発する災害、紛争。AAR Japan[難民を助ける会]は2011年度、東日本大震災、東アフリカ干ばつ、東南アジア水害、トルコ大地震の際に出動し、緊急支援活動を実施しました。

災害発生後ただちに駆けつけ、命をつなぐ支援が可能になったのは、皆さまの日ごろのご支援があったからこそです。私たちだから届けられる支援を、これからも続けて参ります。どうか夏募金にご協力をお願いいたします。

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大干ばつの影響でダダーブ難民キャンプへ逃れてきた家族

大干ばつによって多くの人々が家畜や畑を失い、子どもたちに与える水や食料も手に入らず、命からがら難民キャンプにやってきました(ケニア、ダダーブ)

世界には、自然災害や紛争など、自らの力ではどうにもできない理不尽な理由で困難な生活を強いられている人々が何億人もいます。

AAR Japan[難民を助ける会]は設立以来、こうした方々への緊急支援に取り組んできました。大切にしてきたことは、小まわりのきく民間団体ならではの機動力や人的ネットワークを活かして、すばやく現場に入り、必要な支援を自分の目と耳で確認して、確実に現地に届く支援を、ただちに実行に移すことです。

2011年8月、私は、干ばつ被災者緊急支援のためにケニアのダダーブ難民キャンプに入りました。大干ばつや長引く紛争を逃れ、ようやくキャンプにたどり着いたソマリア難民の子どもたちは、故郷ではお母さんを助けて水を汲むために毎日何時間も歩いたこと、キャンプまで逃げてくる途中でおばあちゃんが亡くなったことなど、ときに目に涙をためながら話してくれました。足に障害のある男性は、ふだんは周囲の人たちが助けてくれていたけれど、ひどい干ばつでそれどころでなくなってしまった、自力では支援物資を受け取りにも行けずとても困っていた、と話していました。

こうした声をしっかり聞き届け、人から人へ心をつなぎ、命をつないでいく支援を、これからもAAR Japanは続けてまいります。

名取 郁子

名取郁子

1999年より国連やNGOの職員として途上国支援に携わる。2006年より難民を助ける会の職員としてアンゴラで地雷対策事業に、2008年からスーダン南部 (現南スーダン共和国)で、水・衛生事業に従事。2010年より東京事務局で海外事業部長を務める。2010年ハイチ大地震など数々の緊急支援に携わる(滋賀県出身)

最近の緊急・復興支援の一例

ケニア、キツイ県ムトモ郡で岩場に溜まった雨水を汲む少女

2011年、東アフリカ地域では、干ばつにより1,330万人が支援を必要とする状態に陥りました。AAR Japanは、同年8月よりケニアで緊急支援を開始。高齢者や障害者がいる世帯を優先しながら、食料や生活必需品を約2,020世帯(約14,140人)に配付しました

岩手県田野畑村の障害者福祉作業所「ハックの家」の皆さま

東日本大震災発生2日後より、現地で緊急支援物資の配付や炊き出しを実施。現在も、岩手、宮城、福島で、障害者や高齢者を中心に活動を続けています。写真は修繕と機材提供を行った障害者福祉作業所「ハックの家」パン工場の皆さん(岩手県田野畑村)

ハイチの児童養護施設「ベルナドット・デルマ子どもたちの家」の子どもたちと駐在員の中村啓子

2010年1月12日(現地時間)にハイチを襲った大地震を受け、3ヵ月で13,400世帯(約67,000人)に食料や生活必需品、防水シートなどを配付。現在は障害者施設の再建などの復興支援を続けています(右奥は駐在員の中村啓子)

支援物資を受け取りにきた家族と、東京事務局の近内みゆき

2011年10月23日にマグニチュード7.2の地震に襲われたトルコ東部で、3日後から活動を開始。物資配付や共同パン焼き小屋の設置を行ったほか、極寒期には衣類や防寒シートを配付しました(右は東京事務局の近内みゆき)

AAR Japanはこれからも、被災者の方々へきめ細やかな支援を届けてまいります。どうか、皆さまの温かいご支援を、引き続きよろしくお願いいたします。

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