ミャンマー・カンボジア事務所
加藤 美千代
カンボジア事務所新駐在員の着任記
記事掲載時のプロフィールです
10年ぶりにカンボジアに赴いた加藤駐在員。プノンペンの印象をつづります。
カンボジアにやってきたと実感するのは…
私が東南アジアにやってきたと実感するのは、飛行機から降り立ったときの湿気や空気の香りを感じてではなく、空港にあるトイレの水流の弱さを見て、である。
プノンペンの空港も例外ではなく水流が悪かった。あの調子では手桶で水を流したほうが効率がいい。
空港には鷺谷大輔駐在員が迎えにきてくれていた。東京で何度か顔をあわせたことがあったのですぐに見つけることができた。
カンボジアで見る彼の顔は生き生きしていたように思う。
難民を助ける会のロゴが目立つ車両の助手席に乗り込み滞在先のホテルに向かった。車は日本と違い左側通行。右側の助手席に乗り込み、外車に乗った気分を味わう。
カンボジアにとってのNGOの存在
私にとって10年ぶりであるプノンペンは、車の数が増えていた。
車に乗っていて気付くのは、ナンバープレートの色種の多さだ。白地に赤、青地、黒と赤地、緑地、黄地などの種類のほか、NGOが使う車両専用の色(緑地)がある。
NGO専用のナンバープレートの存在は、カンボジアにおけるNGOのプレゼンスの高さを示しているように感じた。そういえば、道脇に掲げられている交通安全を訴える垂れ幕はHandicap International(国際NGO・本部フランス)が作成したものだ。
カンボジアにとってNGOがどのような存在なのか、また、カンボジアがどのくらい「援助漬け」にされているのかはこれから徐々に知っていくことになるだろう。
ベテランの現地スタッフに迎えられ
難民を助ける会が運営するキエンクリエン職業訓練センターに到着すると、20名あまりのスタッフが出迎えてくれた。
ジャスミンの花飾りをもらう。歓迎を嬉しく思うと同時に照れてしまい、「ありがとう、これからよろしくね」くらいしか言えなかったので、着任3日目に全スタッフの前で正式な就任演説を行った。
カンボジア事務所のスタッフは、経験が長い。仕事歴7年目のChin Yokに「僕は他の人に比べればまだジュニアレベルだ」と言わせるくらいだ。
7年目でジュニアなら、1年半の私は赤ちゃんレベルだ。仕事歴10年以上のスタッフが多くいることは心強い一方で、長年カンボジア事務所で培ってきた伝統やしきたりが、よくも悪くも確立されていることだろう。
日本人駐在員がカンボジアに常駐しないこれからの状況下では(編集部注:加藤は引継ぎ終了後ミャンマーに駐在、カンボジア事務所は現地スタッフが中心に運営する)、今までのやり方を変えざるを得なくなるので、スタッフを戸惑わせることがあるかもしれない。
波風があまり立たないように、かつ確実にローカルスタッフ主導型のプロジェクト運営に変更していくことが私のカンボジアでの役割だ。まずは仕事の流れを知りスタッフの気持ちをよく聞き、全体を把握してから少しずつ、マネジメントを含めた事業全体をローカル主導型にしていきたい。
様々な顔を持つ街、プノンペン
プノンペンの街中では物乞いをする子どもをよく見かける。道端に一日中座っているような障害者もいる。
その一方で、派手な化粧をした母親に連れられたこぎれいな子どもがショッピングセンターでピザを食べている。そのショッピングセンターのエスカレーターに、乗るのが初めてなのだろうか、びくびくしている女の子もいれば、セクシーな服を着て客待ちをしている女の子もいる。
昼間にバイクタクシーに乗ると、暑さと危なさでクラクラしてしまうが、夜風に吹かれてサムロー(リキシャ。三輪自転車タクシー)に乗るとなんとも優雅な気分を味わえる。
これからのカンボジアでの生活がとても楽しみだ。