相馬事務所
横山 恵久子
福島:いまももがき苦しむ方々に寄り添う
東日本大震災時は、相馬市で自ら被災しながらも、個人で被災者支援を実施。その後AARのスタッフとして、相馬市内の全仮設住宅を戸別訪問しながら、被災されたひとりひとりに寄り添った支援活動を行う
記事掲載時のプロフィールです
東日本大震災からもうすぐ2年。被災地では、今だに多くの方々が、困難な状況で生活されています。福島県相馬事務所の横山恵久子が、仮設住宅で暮らす方々の現状をお伝えします。
1軒、1軒、個別訪問して見えてくること
私は、震災直後から遺体捜索などの活動に携わり、2011 年5月からはAAR のスタッフとして活動してきました。現在は、国立病院の医師やカウンセラーらとチームをつくり、相馬市や近隣市町村の仮設住宅を巡回し、心身の不調に苦しむ被災者の方への訪問相談を行っています。
もうすぐ震災から2年が経ちますが、多くの方々が、家族を失った悲しみ、孤独、まったく見通しの立たない将来への不安にさいなまれ、お酒や睡眠薬などがなければ眠れないといった状況に陥っています。自ら命を絶つケースも起きています。仮設に入ってから一度も外に出ようとしない大学生、地震が起きるたびに泣き叫ぶ子どもたち。老若男女問わず心に深い傷を負っています。新しい家を建てたり、新たな就職先を見つけるなどして、前向きに一歩を踏み出している方はまだまだ少数です。
毎日、30~40人の元を訪れ、「おじいちゃん、どうしてる?」「今日、一回でも外に出たのかい?」と声をかけて回っています。「布団を敷くことができない」とひとり暮らしのおばあちゃんから電話が来れば、何時でも行って手伝います。地震が起きると「眠れない、原子炉はどうなってる?」「次に原発が爆発したら、俺らはどこに逃げたらいいんだ?」と、混乱した人たちから、夜中でもひっきりなしに私の携帯に電話がかかってきます。不安な声に何時間でも耳を傾け、「心配ない」と、落ち着いてもらいます。
痛みを分かち合いながら
仮設への訪問を始めて、心を開いて話してもらえるようになるまで2~3ヵ月、それぞれが抱える問題や悩みが見えてくるまで1年近くかかりました。2012年の秋頃からは、同じような悩みを持つ方々への集団カウンセリングを始めています。数十名の参加者が輪になって座り、1人ずつ自分が抱えている悩みや問題を話していきます。
「夜寝てたらさぁ、“おかあさーん”って声がした気がして、ばっと目を覚ましたんだ。壁に飾ってる娘の遺影が目に入って、写真から呼ばれているのかなぁ、あの子どこかで骨になって、私のこと呼んでいるのかなと思うと眠れなくなって、夜中でも仮設出て探しに行くんだ」
「うちは、6年生だったんだ」
「そうかぁ、うちの子は3年生だったよ」
「こないだお墓立ててさ、何も残ってないから、髪の毛を結んでいたゴムを、納骨代わりにいれたんだよ」
子どもを亡くした親の「助けられなかった」「自分だけが生き残ってしまった」という後悔や罪悪感は深く、決して消えることはありませんが、同じ苦しみを抱えているからこそ、自分が本当に欲しい言葉を掛け合うことができるのです。
「だってしょうがないべ。母親の私が泣いてばっかりだったら、ほかの子どもがかわいそうだろ」
「うちは、もうみんないないから、一人でも残っているだけいいんだよ」
「そうか、うちはまだ生きている子がいるから、まだいいのかな」
「そうだよ。一緒に、とにかく、一緒に頑張っていくべ」
参加者同士が連絡先を交換し、自分たちで話をしたり、励まし合うことができると、それぞれに「変わらなきゃ、前に進まなきゃ」という意思が生まれ、薬やお酒に頼らなくても、生活を送れるようになっていきます。集団カウンセリングの効果は非常に大きいです。
AARは仮設住宅で暮らす方々の交流の場となるようなイベントの開催や、手作りバッグやチョコレートと共に全国から寄せられた応援メッセージを被災者にお届けする活動も行っています。
「落ち込んでいたけど、イベントに来て元気が出たよ」と笑う方。
メッセージを読んで、「日本のどこかで誰かが応援してくれているなら、私、生きていかないとね」と涙を流す方。
人を助けられるのは、薬やお酒ではなく、やはり人だと感じています。
横山は、3月9日開催の活動報告会にも登壇します。ぜひ、お越しください。