スリランカで地雷被害者に車イスを支援しています
難民を助ける会はこれまで各国で、地雷回避教育や被害者支援、地雷除去といった地雷対策活動を行ってきました。しかし、世界ではまだ、地雷や不発弾による事故が頻発し、怪我を負っても、適切な治療さえ受けられない人々が大勢います。そこで難民を助ける会では2009年度より、スリランカとラオスで地雷・不発弾対策の新たな事業を開始しました。(これらの事業は「地雷・クラスター爆弾をなくそう!キャンペーン」を通じたイオングループからのご支援を活用しています。)
無数の地雷が埋まる土地で暮らさざるをえない人々のために
スリランカでは過去25年以上にわたり、政府軍と反政府組織LTTE(タミル・イーラム解放の虎)との戦闘が続いてきました。2009年5月に内戦終結が宣言されましたが、今も国内避難民キャンプでは多くの人々が厳しい生活を送っています。また、国土には60万個~140万個もの地雷・不発弾が残っていると推定され、地雷事故が後を絶ちません。
地雷被害者などの障害者は自力で移動することが難しいため、怪我が治っても仕事に就けないなど、一層苦しい生活を余儀なくされています。
そこで難民を助ける会は、障害者が社会に参加していけるよう、車イスや松葉杖など補助具の支援を開始しました。2009年8月より、現地のNGOであるモチベーション・チャリタブル・トラスト・スリランカとスリランカ障害者リハビリテーション財団(SLFRD)と協力し、北部ワウニア県の国内避難民キャンプと南部のモナラガラ郡を中心に、必要な補助具を届けています。
モナラガラ郡は、スリランカ国内でも特に貧しい地域です。農業が主要な産業ですが、農耕に適した時期が短いために雇用が不足しているうえ、地雷による事故が多発しています。2009年10月、モナラガラ郡で地雷被害者を中心とした障害者48人に、車イスを支援しました。
働き盛りを襲った悪魔の兵器 |
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私は2003年8月16日に地雷の事故で両足を失いました。事故に遭う前は、稲作の仕事をしていました。その日も、いつもの通り水田で作業をしていたときに、地雷を踏んでしまったのです。 退院してこれまでは、4輪の車イスを使っていましたが、農作業はおろか、家の周りの農道はでこぼこで、一人で外出することさえ困難でした。妻と親戚に農業を任せていますが、今年は雨が少ないので、妻が洋裁の副業もはじめました。私の介助もあるので、大きくのしかかる妻への負担に申し訳なく思っています。 難民を助ける会が支援してくださった新しい3輪の車イスでは、坂道やあぜ道も進めるので妻の手を借りずに自分の力で外出できるようになり、とてもありがたいです。 |
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 板垣 文子
2009年9月より東京事務局でラオス・スリランカ事業を担当。大学院で国際人権法を学んだ後、国際NGOで地震被災者の支援に関わる。その後国内団体での難民支援の仕事を経て、難民を助ける会へ(東京都出身)