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トルコ地震:被災した村で支援物資の配付を続けています

2011年11月09日  トルコ緊急支援
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日本時間の11月10日未明に、トルコ東部でマグニチュード5.7の地震が発生し、難民を助ける会のスタッフ2名が滞在しているホテルが倒壊しました。 内1名、近内みゆきは、日本時間の10日午前に救出されましたが、宮崎淳は、大変残念なことに、ワン市内の病院で死亡が確認されました。現在、トルコでの支援活動は休止しています。今後の活動につきましては決定次第お知らせいたします。

多くの家が倒壊した村で70世帯に支援物資を配付

「オザルベイ、ビルターネ!(オザルさん、1個)」
「アイドゥンベイ、イキターネ!(アイドゥンさん、2個)」

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「僕も運べるよ!」支援物資の詰まったカゴと袋を懸命に運んでゆく子ども

11月5日、ワン県のギョリュ村に、各世帯の名前を読み上げる村人のタキン・カダシュさん(40歳)の声が響き渡りました。ワン県の中心部から車で25分ほどのこの村では、約8割の家が全壊したり壁にひびが入るなどの被害を受けており、今もテント生活を送る人が多くいます。私たち難民を助ける会の緊急支援チームは、この村の70世帯を対象に支援物資を配付しました。物資の内容は、米や油、塩や砂糖、豆などの食料品と、下着や洗剤などの生活必需品です。

支援物資を受け取りに家族で集まってきた村人たちは、カダシュさんが自分たちの名前を呼ぶのを広場で静かに待っていました。このあたりは日本よりも日没がずっと早く、午後3時ともなると日暮れ時です。広場の前に建つモスクには夕陽が当たり、地震で割れた窓がよく見えます。私たちが支援物資を手渡すと、村人たちは「ありがとう」とにっこりしながら受け取って帰って行きました。親と一緒に来た小学校低学年の男の子たちは、「ぼくも運べるよ。重たくないもん」と言いながら、支援物資の詰まったかごを懸命に持ち、5、6メートルごとに休みながら帰って行きました。

この村の区長を務めるサーイト・スィダルさん(70歳)は、笑顔で私たちにお礼を伝えてくれました。「日本からこんなに遠いところまで来てくれるなんて。神の御名の下に深く感謝します。ありがとう、ありがとう、ありがとう」。

ワン県の郊外にある村々には行政の支援が届き始めたようですが、逆にワン市中心部の貧しい人々にテント以外の物資がなかなか届いていないという声を多く聞きました。難民を助ける会では、今後そうした人々にも支援物資を配付する予定です。

※この活動は皆さまからのご寄付に加え、ジャパン・プラットフォームの助成を受けて実施しています。

1世帯当たりの配付物資
食料:米10kg、油2kg、塩1.5kg、砂糖750g、豆2.5kg、マカロニ1kg、茶500g、トマト缶1個、ビスケット1箱
生活必需品:下着(男性用2組、女性用2組、子ども用4組)、洗剤1箱、生理用品3パック、石けん1kg、タオル2枚、配付用のかご
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物資を受け取り、家族で持ち帰る村人たち

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食料や生活必需品などの支援物資は一世帯分ずつカゴに入れて渡します

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支援物資を受け取った村人と。左端は難民を助ける会の宮崎淳、右端は太田夢香

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村からは雪をかぶった山脈が見えます。朝晩は氷点下にまで冷え込みます

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配付を管理してくれた村のカダシュさん(中央)。名簿を確認しながら、最後まで声を張り上げてくれました

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村人が集まった広場では、壁がはがれ、窓ガラスが割れたモスクに夕日が当たっていました

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 近内 みゆき

難民を助ける会プログラム・コーディネーター。2011年10月より東京事務局勤務。大学時代に東西を結ぶ要衝に位置するトルコに興味を持ち、大学院ではトルコのEU加盟や移民問題などを学ぶとともに、トルコ、北キプロスで現地調査を行った。記者として新聞社に5年半勤務した後、難民を助ける会へ。(福島県出身)

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