トルコ:宮崎淳さんの訃報
(2011年12月12日追記) |
宮崎さんをおくる会の詳細が決まりましたのでご案内いたします。 (2011年11月24日追記) |
(2011年11月17日追記) |
宮崎さんのご遺体は、11月13日午後1時3分、成田空港に到着しました。 (2011年11月13日15:30追記) |
訃報
日本時間の10日未明に、トルコ東部で10月23日の大地震の余震とみられるマグニチュード5.7の地震が発生し、難民を助ける会のスタッフ2名が滞在しているホテルが倒壊いたしました。
内1名、近内みゆきは、日本時間の10日午前に救出されましたが、宮崎淳は、大変残念なことに、ワン市内の病院で死亡が確認されました。
宮崎さんは、日本時間の午後5時過ぎに救出され、一時心肺停止状態に陥ったものの、状態が安定し、アンカラ市内の病院への緊急搬送を予定しておりました。しかし、搬送準備中にお亡くなりになられたとの連絡を受けました。誤報であってほしいと強く願っておりましたが、宮崎さんとともに活動していた複数の現地関係者らがご本人であることを確認いたしました。
宮崎さんは、今年6月に当会に応募され、8月から東京本部で研修を開始し、9月1日から正規職員となりました。志望の動機書には、以下のように国際協力、特に緊急支援に対する熱い思いを語っておられました。
「東日本大震災の発生により、先進国のみならず、途上国からも支援が寄せられ、如何に世界が共助で成り立っているかを改めて実感させられることとなりました。東北地方を含め、世界で緊急の援助を必要としている人々に対して今の自分に何かできるかを考えたとき、これまで公共団体やNGOで行ってきた組織運営管理や広報・啓発活動の経験ならば活かせるのではないかと思うに至りました。
私は大学院で紛争解決学を専攻し、かねてより平和構築の分野に関わっていきたいと思ってきました。今回の震災を受け、平和構築の意味を含めて、世界各地でより困難な状況にある人々を支援する活動に対する思いが更に強くなり、そうした活動を行っている貴会において、微力でも貢献したいと思い、志望致しました。
平成23年6月8日 宮崎 淳」
現地で一緒に活動していた当会の太田夢香によりますと、トルコでの宮崎さんは、東京事務局でいつもそうであったように、いつも周囲に気を配りながら、笑みを絶やすことなく、でも生真面目に、精力的に活動をされていました。
これからも様々な現場で、一層活躍していただく筈でした。私たちも宮崎さんの訃報がいまだに信じられません。
ご家族の方々のお気持ちはいかばかりかと拝察申し上げます。心からお悔やみ申し上げますとともに、宮崎さんのご冥福を衷心より、お祈り申し上げます。
2011年11月10日 難民を助ける会理事長 長有紀枝