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「地雷で子どもたちが傷つくことのない世界は、実現できる」

2019年06月26日  地雷対策
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2019年6月11日、地雷被害によって両足と左腕を失った紛争ジャーナリストのジャイルズ・ドゥーリーさんが来日し、「地雷ゼロを目指す夕べ」(会場:帝国ホテル、主催:ヘイロー・トラスト、AAR)で講演を行いました。その全訳をお届けします。

戦争の負の遺産を記録し続けて

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■ジャイルズ・ドゥーリー氏
Giles Duley、1971年イギリス生まれ。
ファッションや音楽業界のカメラマンとして約10年活躍した後、2000年より紛争ジャーナリストとして活動を開始。NGOの活動や世界中で紛争に傷つく人々の姿を伝えるように。2011年、取材中のアフガニスタンで即席爆発装置(IED)の被害に遭い、両足と左腕を失う。強靭な精神力で何回もの手術とリハビリを乗り越え、1年半後から取材活動を再開。そのかたわら、メディアやイベントなどで自身の体験を積極的に語り、2012年には出演したTEDx talkの投票上位10本にも選ばれた。

私の話を始める前に、皆さんに問いたいことがあります。
もし今夜、家に帰る途中、どこかの家で火事が起こり、助けを求めている人がいたとしたら、あなたはどうしますか?
考えておいてください。私の話の最後にまたこの話題に戻りたいと思います。

私は10年以上にわたって、戦争の遺産というものを記録してきました。写真家として、ジャーナリストとして、私は世界中の戦争の傷跡を目の当たりにしました。地雷や不発弾ほど破壊的な"遺産"はありません。アンゴラからコロンビア、アフガニスタン、南スーダンに至るまで、地雷がどのように人命を奪い、どれほど地域社会の日々の暮らしを妨げているかを私は見てきました。

私たちは、そこで何が起こっているのかを知っています。統計や数値、目指すべき目標、何が必要とされているかも知っています。しかし、地雷によって負傷するとは、人の命が犠牲になるというのがどういうことか、知っているでしょうか? 人命に値段が付けられるでしょうか? 

取材で出会った人々のうち、私が特に衝撃を受けた2人についてお話ししましょう。

支援を受けられない地雷被害者の現実とは

ちょうど1年前、私はカンボジア・シエムリアプの義肢センターで、ひとりの男性に会いました。彼はまだ子どもだったクメール・ルージュ(ポル・ポト政権)時代に地雷で両脚を失いました。彼は必要最低限の義足を与えられましたが、両脚を失った人が義足を使うために必要な高度な訓練や支援を受けたことはありませんでした。

センターで話をした翌日、彼は私を家に招いてくれました。何年もの間、一緒に暮らす姉が彼の面倒をすべて見てくれていましたが、姉自身も家族の世話をしなければならないので、たいへん苦労していました。それから彼は建物の横にプラスチック・シートで作ったシェルターに私を連れて行きました。そこには3つの犬用のカゴがあり、彼はそのカゴのひとつを指差して「これが私のベッドです」と言いました。

これが地雷によって負傷した多くの人々の現実です。彼らは再び自立するために必要な支援を受けていません。支援を受けられない地雷被害者の中には、文字通り"犬"として生きなければならない人々がいるのです。

「子どもが傷ついていることを、世界は知る必要がある」

地雷は過去の戦争の遺産、あるいは遠い記憶ではありません。2017年にイラク北部のモスル奪還作戦が激化した時、私は現地の緊急外科病院にいました。私はそこで今まで写真家として見たことのない最悪の場面を目撃してしまったのです。その現場で起きたことに圧倒された私は、すさまじい恐怖を前にして感覚がマヒしてしまい、写真を撮ることもできませんでした。写真を撮ることにどんな意味があるのかと思ってしまったのです。

滞在最後の日、私は病院でダウード・サリムくんと会っていました。モスル郊外で羊を飼っていた12歳のダウードは2017年3月8日、地雷を踏んで両脚と右手を失いました。「この時まで、私は息子がどれほど勇敢なのか知りませんでした」と母親ニダルは私に話しました。爆発の後、両脚に重傷を負いながら、彼は立ち続けようとしたと言うのです。彼女が現場に着く前に、人々が彼をトラクターに乗せて最寄りの病院に運びました。「息子は私に泣かないでほしいと言いました。『母さんが泣くほど痛みを感じるから』と...」。

それから数週間、私は病院に通い。この親子と話をする時間をもちました。そして最後にやっと写真を撮ることができる、と思いました。彼はずっと微笑んで冗談を言っていました。私は母親に、「息子さんの写真を撮っても良いですか」と尋ねました。彼女最初、私をにらみ付けました。そして、「子どもがこのように傷付いていることを世界中が知らなければならなりません」と言って、許してくれました。

彼女が言う通りです。こうしたストーリーを伝えるのが私の義務なのです。私たち誰もが地雷の恐ろしさを忘れないように、そして地雷が過去の武器ではなく、今なお進行中の脅威であることを世界に思い出させるために。

あなたは、何をしますか?

地雷が決して過去のものではないということは、私自身がよく知っています。私は、2011年にアフガニスタンで働いている時に、即席爆発装置(IED)で負傷しました。私は毎日痛みで目を覚まします。そしてこの現実を受け入れられずに葛藤しました。私は家を、仕事を、夢を失うのがどのようなことかを知っています。そして、地雷の犠牲者になるというのは何なのかを知っています。

しかしこのことが私をくじけさせるどころか、その経験と痛みが地雷の犠牲者の代弁者としてもっと働くよう私を駆り立てます。ひとりの子どもでも、私の活動によって、私と同じような経験、痛みや苦しみを味合わずにすむようになるならば、私の仕事は無駄ではなかったことになるでしょう。

だからこそ私は、この場にいる皆さんひとりひとりに問いたいのです。あなたには何ができるのかと。もっとできることはないのか、考えてみてください。

私たちは2025年までに地雷のない世界、子どもたちが地雷で未来を奪われたり、苦痛と貧困の中で生きなければならなくなったりしない世界を実現できると、私は本気で信じています。それは単に地雷を除去するということではなく、生命を救うことなのです。

 

この話を始める時に、「火事で助けを求めて叫んでいる人がいたら、あなたはどうしますか?」と問いました。私は、今日ここに来ていらっしゃる皆さんは、きっとこの人たちを助けるために、自分にできる全てのことをしようとすると思います。

アフガニスタンでは、子どもたちが地雷原を通って学校に行っています。スリランカでは薪を拾うために母親が地雷の埋まった土地に足を踏み入れています。アンゴラでは広場で遊んでいる子どもたちが地雷の被害に遭っています。この、地雷の危険にさらされている人たちと言うのは、まさに火事で助けを求めている人と同じなのです。地雷問題は過去の物ではありません。今日生きている人たちのすぐそばに存在する危険なものです。ですから、火事で助けを求める人と同じように私たちは考え、行動していく必要があるのです。

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