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2013年12月15日、首都ジュバで起こった政治問題に端を発した戦闘は瞬く間に各地に広がり、独立からわずか2年半で再び混乱に陥ってしまった南スーダン。これまでに100万人以上が避難を余儀なくされ、現在もその数は増え続けています(2014年4月3日現在 OCHA<国連人道問題調整事務所>)。AARが今年2月より調査・支援活動を行っている隣国ケニアのカクマ難民キャンプでは国際機関やNGOなどが水・食料・燃料・テントなどを提供していますが、12月以降南スーダンから避難した人々の数は2万6000人以上にのぼり、生活必需品が圧倒的に不足しています。
「今、この子たちを守るのは私しかいない」
子どもたち12人を連れて、約960kmの道のりを避難したアモ・ソンさん(35歳、女性)の今
昨年の12月23日、私と長男は、牛の放牧をしていたところを突然銃を持った男たちに襲撃されました。銃声の中、訳もわからぬまま村まで逃げ帰りました。ところがすぐに襲撃者たちが村まで追跡してきたため、私は我が子6人とともに近くの森に逃げました。途中で両親とはぐれた子どもたち6人と出会い、この子たちも連れて一緒に安全な場所へ逃げようと決め、13人で森を出ました。逃げている人はたくさんいましたが、お年寄りや子どもなど体力のない人たちのなかには、飢えや渇きから命を落とした人もいました。
夫とは連絡が取れず、無事でいるのかわかりません。カクマ難民キャンプでは、住居と食料が手に入り、医療と教育が受けられると聞いたので、女手ひとつで子どもたちを育てるには、カクマに行くしかないと思い、何日間も歩き、バスを乗り継いで、80日かけてカクマ難民キャンプに着きました。
子どもたち全員の命が助かったことは本当に幸運でした。しかし現在子どもたちと暮らしているテントは、マットレスなどの寝具はなく、地面に直接体を横たえて眠ります。晴れの日に極限まで熱されたテント内の気温は耐えがたく、雨が降ればテント内は水浸しで、体を休めることもできません。食料は1日2回配給されますが、子どもたちはいつも空腹で泣いています。難民キャンプでの生活はとても過酷です。それでも、私は南スーダンに帰りたいとは思いません。子どもたちにはここで教育を受け、学校を卒業し、母国に帰るのかどうか自分たちで決めてほしいと思います。
突然住む場所を追われ、家財道具も食料もほとんど持たずこの難民キャンプに辿りついた人々。ヤギや牛を放牧し、毎日忙しく働いていた日常からはかけ離れた生活をおくっています。難民キャンプでの生活は、私の予想をはるかに超えた過酷なものです。毎日砂嵐が容赦なく吹き荒れ、子どもの目に入った砂をすすぐ水も、飲み水さえも、手に入れるためには灼熱の中何時間も並ばなければなりません。まとまった雨が降れば今度は地面がぬかるみ、給水車がキャンプまで辿りつけず、地面に溜まった水を飲まざるを得なくなることもあります。蚊も大量に発生するためマラリアなどの感染症拡大も懸念されます。安全な水を手に入れる給水システム作りが急務です。 また、子どもたちができるだけ早く教育を再開できるよう、教育環境の整備も必要です。家や牛などの財産を失い避難生活をおくる人々にとっては、子どもたちに教育を受けさせることが、難民キャンプを出た後の生きる糧を得ることにつながっているからです。 AARは、難民となった人が、今日を生き抜くために必要なものを届けます。そして、再び自立して生きていけるよう、子どもたちが教育を受けられる環境作りを進めます。突然の暴力によって日常を破壊され、逃れてきた人に、支援を届けたい。どうか皆さまのお力をお貸しください。 |
南スーダン駐在員 土川 大城(つちかわ だいじょう)
2012年10月より東京事務局でケニア事業、南スーダン事業を担当。2013年4月より駐在員として南スーダンで井戸掘削事業、ケニアのカクマ難民キャンプでの支援を担当
AARが現在行っている難民支援
AAR Japan[難民を助ける会]は1979年、ベトナム、カンボジア、ラオスでの紛争を逃れ国外へ避難した方への支援を開始。これまで35年にわたり世界各国で、故郷を追われ避難生活を送る方々へのさまざまな支援を行ってきました。