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パキスタン洪水支援 中部・南部でも医療支援を行っています

2010年10月26日  パキスタン緊急支援
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北から順に、ノシェラ、ムザファルガル、スッカール

パキスタンで起こった洪水被災者への緊急支援のため、東京事務局の松本理恵と川邉安行が現地で支援活動を行っています。9月からは、ジャパン・プラットフォーム(JPF)の支援のもと、国内3ヵ所で医療支援活動を始めました。この活動は、医師・薬剤師などからなるチームが被災地を訪れ、診療を行うというものです。合計10の診療チームが、北西部のノシェラ郡、中部のムザファルガル郡、そして南部のスッカール郡で活動しており、総計50,000人の患者を診察する予定です。

松本と川邉は10月7日から9日にかけてムザファルガルの医療支援の現場を、そして10月15日から17日にはスッカールの活動地を訪れました。

ノシェラ郡での医療支援活動については、以下の記事をご覧ください。

二つの川に挟まれたムザファルガル郡

バシーラの固定診療所

左後ろの建物がバシーラの固定診療所。右は東京事務局の川邉安行(10月8日撮影)

ムザファルガル郡はパキスタン中部、インダス川の流域にあり、今回の洪水で大きな被害を受けました。この郡では、難民を助ける会の支援によって、「固定診療チーム」と「巡回診療チーム」が活動しています。固定診療チームはバシーラの町に診療所を開き、患者を診察しています。巡回診療チームは郡内の被災地を毎日移動して、避難キャンプなどで診療を行っています。診療はいずれも無料で、診察、薬の処方、そして必要な場合は大きな病院への紹介などを行っています。1つの診療所では一日あたり約100人の患者を診察しています。診療所を訪れる患者の多くは、皮膚病、発熱、下痢などの症状を訴えています。

診療所を訪れたナワーズさん

ムハンマド・ナワーズさん(左、53歳)は13人家族の大黒柱。巡回診療所で栄養失調と高血圧の治療を受けました。地域の保健診療所にも行きましたが、費用が払えないため、診察を受けられなかったそうです。洪水で自宅と家財道具を失い、今は屋外で寝起きしています。(10月8日撮影)

診療所を訪れたビビちゃん

ズバイダ・ビビさん(右、16歳)は下痢と熱、頭痛が止まらず、診察を受けに来ました。避難キャンプのテントでお母さんと暮らしています。自宅は洪水で崩壊し、再建のめどは立っていません。左は話を聞く東京事務局の松本理恵(10月9日撮影)

今も水が残る南部スッカール郡

パキスタンの南部、シンド州に属するスッカール郡でも、固定診療チームと巡回診療チームが活動しています。ムザファルガルと同じように、固定診療チームはスッカール中心部の避難キャンプに拠点を構えており、巡回診療チームは郡内を移動して診療を行っています。インダス川の最下流に位置するシンド州は洪水による被害が大きく、今も自宅に戻ることのできない世帯が多くあります。

学校に避難している人たち

巡回診療チームが訪れた学校にて。バチャルさん(右から3人目)は、8月5日からこの学校に避難しています。8人の子どもと1人の孫が一緒です。もうすぐ授業が再開するのでここを出なくてはいけませんが、自宅は浸水しており、帰る場所のあてはありません。左端は松本理恵(10月16日撮影)

固定診療所のある避難キャンプにて

サブハイさん(中央)はもう2ヵ月近くも避難キャンプで暮らしています。栄養不足から体調を崩し、診察を受けに来ました。自宅はまだ水が引いていないので、いつ帰れるかわかりません。右後方は診察の様子を見守る川邉安行(10月16日撮影)

診療所に集まった子どもたち

巡回診療所に集まった子どもたち(10月9日撮影)

国際社会からの支援は首都から近いパキスタンの北西部に集中しがちで、中部・南部は支援の足りない状況が続いています。安心できる住居や安全な飲み水・食料の不足している被災地で、人々が少しでも安心して暮らせるよう、難民を助ける会は引き続き支援を続けていきます。皆さまのご協力をどうぞよろしくお願い申し上げます。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 松本 理恵

2004年4月より東京事務局勤務。アフガニスタン、パキスタン、カンボジア、タジキスタン事業を担当。パキスタン地震(2005年)、レバノン緊急支援(2006年)、スマトラ島沖大地震(2009年)やハイチ大地震(2010年)で緊急支援を担当。大学では国際開発を中心に学び、卒業後旅行会社で6年勤務。その後、難民を助ける会へ。(神奈川県出身)

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