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東日本大震災10年:取り戻した笑顔、前に進むチカラ(4)

2021年02月25日  日本緊急支援
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東日本大震災から10年

2月27日(土)に、オンラインシンポジウムを開催します。基調講演、活動報告、被災地に暮らす3人のゲストを迎えたパネルディスカッションを予定しています。詳しくは以下をご覧ください。

東日本大震災(2011年3月11日)から間もなく10年を迎えます。AAR Japan[難民を助ける会]は震災発生直後に支援活動を開始し、今日に至るまで被災地の多くの方々とともに復興に向けて歩んできました。岩手・宮城・福島3県の皆さんの今の声を4回に分けてご紹介します。

親子3人が笑顔で自宅のソファーに座っている

「西会津ワクワク子ども塾」参加者の横山 一徳さん・ 明美さん・ 碧乙さん(右から)(福島県南相馬市)

娘の健やかな成長を願って

福島県南相馬市 「西会津ワクワク子ども塾」参加者 横山 一徳さん・ 明美さん・ 碧乙(みお)さん

震災に遭ったのは長女の碧乙が生後4カ月の時です。いわき市の実家に里帰り中だった妻の明美とは何とか携帯電話がつながって互いの無事を確認しましたが、勤務先から家に戻ると部屋は滅茶滅茶でした。翌日、福島第一原発で水素爆発が起きて、明美と碧乙は会津若松の親せき宅に避難し、地元の消防団員だった私は4日間、津波で壊滅した海沿いの地区で捜索・救助活動に加わりました。お年寄りのご遺体が多かったのを覚えています。

その後2年間は仕事の都合で別居を強いられ、私は週末に相馬市内の実家から会津若松に通いました。病院勤務の傍ら子育てしてくれた妻は「無我夢中だったので当時の記憶がない」と言います。放射線の影響が心配で、幼い娘に飲ませる水や食べ物にも気を遣いました。

親子3人で相馬に戻った2014年、AARの「西会津ワクワク子ども塾」を知り、娘を外で思い切り遊ばせてやりたいと参加しました。その後も毎年参加していますが、碧乙はソバ打ち教室がお気に入りで、新しい友だちもできたようです。その碧乙も小学4年生になりました。私たちにとって、子ども塾は娘の成長を支えてくれた最高のイベントです。(一徳さん)

公民館の看板の前で赤やピンクの色をした観葉植物を手に笑顔を見せる廣野さん

山木屋公民館副館長の廣野 太さん(福島県川俣町)

旧避難区域の再興を目指す

福島県川俣町 山木屋公民館副館長 廣野 太さん

山木屋地区は農業と酪農が盛んで、自然の恵みも豊かな山間の集落でしたが、原発事故で何もかも一変してしまいました。避難指示区域に指定されて、1,200人余りの住民全員が退避し、そのうち約200世帯350人は町内の農村広場と町体育館の仮設住宅に移りました。仮設住宅の自治会長として行政との調整や困りごと相談などに追われていた頃、AARが「地域みんなで元気になろう」プロジェクトで高齢者のマッサージや茶話会を始めてくれて、特に木製プランターを使った野菜や花の栽培は、ストレスを抱えた避難者の大きな楽しみだったねえ。3年前に帰還が始まって 以降も、AARは山木屋公民館などで活動を続けてくれました。

10年経った今、山木屋に戻ったのは高齢者を中心にかつての4分の1に留まります。住民がバラバラになり、先祖代々受け継がれてきた営みが途切れてしまった悔しさはありますが、地域の再興を目指してNPOを設立し、桜の木を植えたり食堂を始めたりしています。若手農家が特産のアンスリウムやトルコギキョウの花卉栽培に取り組んでいるのも心強いね。これから先の山木屋を考えていくのが、今の私たちの役割なのかなと思います。

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