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スタッフ紹介

ウクライナ国内支援担当(モルドバ事務所駐在員) 東マリ子「私にとってのAAR」

2023年8月1日

    モルドバの首都・キシナウで、「I LOVE CHISINAU 」のオブジェの前に立つ東マリ子職員

    モルドバの首都・キシナウにて=2023年

     AARに入ったきっかけを教えてください

    こんなことをお話していいか分からないのですが、実はAARに入るまで自分が国際協力の道に進むとは、思っていませんでした。AARにいるのは、ほとんど偶然のようなもの。でも今は、すごくやりがいがある仕事を担当していて、自分は本当に運がよかったと思っています。

    AARに入るまでのキャリアは?

    高校卒業まで青森県で過ごしました。北海道の大学でロシア語を勉強し、留学を経て、横浜にあるロシアの水産物を主に扱う専門商社に就職しました。

    私は女性では珍しく海外営業を任され、ロシア人の顧客を連れてアラスカに行ったり、商談のためにロシア、チリの養殖場や加工工場を訪れたりしました。とても面白かったです。チリのサーモンの養殖場はものすごく大規模で、ベルトコンベアにのせられて生け簀から上がってくるサーモンを殴って気絶させ、鮮度を下げないようにして、生きたまま加工に回します。アラスカのタラの加工場は、アリューシャン列島の先っぽにあって、アラスカ州都のアンカレッジから小さなプロペラ機で3時間かかりました。旅行では絶対行かない土地を見ることができました。

    ロシアの街角に友人と2人で立つ東マリ子職員

    ロシア留学中の東(左)

    でも、担当事業が関連会社に移管されてしまい、がっかりして退社。その後も、モスクワの日本大使館など「ロシア語を使う」仕事を続けてきました。新型コロナウイルスの流行時にはロシア系企業で働いていましたが、在宅勤務ばかりで人に会えず、やりがいがまるで感じられませんでした。ロシアか旧ソ連の国と関われる仕事がないかなと探していた時、偶然AARがタジキスタン駐在員を募集していると知り、応募しました。

    AARに入って感じたことは

    最初に感じたのは「場違いなところに来てしまった」ということ。周囲は海外青年協力隊やJICA本部で勤務経験があったり、国際協力について勉強してきたりした人がほとんど。一方私は、AARに応募するまで国際協力という仕事があることすらよく知りませんでした。

    でも、AARは赴任前にしっかりと研修をしてくれました。2021年6月にタジキスタンに赴任し、担当になった障がい者や障がい者家族のための職業訓練や、障がい者と健常者がともに学ぶインクルーシブ教育の事業はすごくやりがいがあり、夢中になりました。

    タジキスタンでは家に閉じこもっている障がい者の方がまだまだ多いのです。ソビエト連邦時代に障がい者は施設で生活するのが一般的だったことや、「障がいをもっているのは恥ずかしい」というような古くて間違った考え方が残っているためです。こうした考え方や意識を、障がい者の家族や学校関係者にも研修を受けてもらって変えていく。これまでほとんど外出したことがなかったという障がい者の方が、AARの職業訓練研修にすごく楽しそうに通ってくる姿を見ると「ああ、よかった」と心から思えます。

    スタッフ日記でも紹介したショフゾダさんには、特に驚かされました。ショフゾダさんは障がい者当事者団体の職員で、とても活動的で明るい女性です。かつて障がいが理由でいじめにあい、家に引きこもっていたと聞いた時は、「えっ?」と信じられない思いでした。彼女は2011年からAARが開いていた縫製研修に通い、自信を取り戻していったといいます。こうした姿を見ているとAARは本当にいい仕事をしているんだな」と実感します。

    タジキスタンの高原で、笑顔で馬に乗る東マリ子職員。

    タジキスタンでの業務の合間には、現地職員の案内で乗馬も楽しんだ

    タジキスタンの人々は素朴で優しく、もてなし好き。訪問の約束をすると、決してお金持ちではないのに、テーブルいっぱいにお菓子を用意して待っていてくれたりします。もう少しタジキスタンで働きたい気持ちもありましたが、ロシアによる侵攻によりウクライナの人々が苦しんでいるのを見て、自分の専門性を活かしてウクライナ支援に携わりたいとの思いを強くし、異動を希望しました。

    現在の仕事について教えてください

    2023年1月からウクライナ国内にとどまっている人々の支援担当になりました。現在は安全上の問題からウクライナに事務所を設けることが難しいため、隣国のモルドバ事務所を拠点に活動しています。

    3月末から4月にかけて、AARが支援を続けている修道院や障がい者団体などを訪問しました。ウクライナの人々は芯が強く、忍耐深い。よく「私たちが勝ったあかつきには」「私たちが勝って、平和が来たら」と口にしていました。「必ず勝利する」という気持ちが強く、戦争はなかなか終わりそうにないこと、これからもより支援が必要になることを実感しました。

    修道院に避難しているウクライナの子どもたちに囲まれた東マリ子職員。みんな笑顔です。

    ウクライナ国内の修道院に避難している子どもたちと=2023年3月撮影

    特に障がい者については、軍事費が増大した関係で国や自治体からの支援が細り、大変厳しい状況にありました。障がい者の子どもを持つお母さんたちも、どんなに自分が困っているか、語りだしたら延々止まらない。私がロシア語を話せて、女性だったため話しやすかったこともあるかもしれませんが「ああ、こんなに胸に詰まったことがあるんだ」と驚きました。頭が痛くなるほど疲れましたが、話を聞くことこそが実は重要な支援ではないかと気づかされました。

    施設の一室で、テーブルを囲み、東マリ子職員と、障害のある子がいる親たちが会話しています。

    ウクライナ国内の施設で、障がいのある子を持つ親たちから話を聞く東(左から3人目)

    また、AARの支援が、国や企業だけではなく個人の寄付に基づいていると伝えると「遠い国の人々が、私たちを心配して支援を届けてくれるなんて」と感激して、涙を流す人もいました。ただモノやお金を届けるのではなく、人との会話、やりとりを大切にしながら活動を続けたいと思っています。

    AARに入りたいと思っている人には、どんなアドバイスを?

    私のように国際協力について素人の人間でも、AARはしっかりとした研修もありますし、興味とやる気があれば、ぜひチャレンジしていただきたいです。海外駐在は、医療機関などが整っていない国に赴任することもあるので、自分で健康管理ができることが重要だと思います。

    (2023年6月のインタビューより)

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