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解説コーナー
アフリカでの地雷被害が増加:ランドマイン・モニター報告2024
2024年12月6日
解説コーナー世界の難民問題の現状について
難民問題の全体像、歴史や背景、そして各国の難民問題の状況について詳しく解説します。「難民条約」全文も掲載しています。
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最近、なんだか気になる難民問題。ネットやテレビの情報は断片的だし、自分で調べようとすると、簡単な説明しかなかったり、逆に難しい専門書や論文が出てきたり・・・実際にどんな人々が、どんな環境で暮らしているのか、どんな気持ちなのか、その「素顔」を知っている人はあまり多くありません。
難民キャンプの取材や人道支援活動を通じて、アジア・アフリカの現場を歩き、多くの難民に接してきたAAR所属のジャーナリスト中坪央暁に、大学で国際政治を学ぶAARインターン水野萌子が聞きました。
大手新聞社の海外特派員・編集デスク、国際協力機構(JICA)の派遣によるアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現地取材を経て、2017年AAR入職。バングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に携わったほか、アフガニスタン難民や南スーダン難民、各地の国内避難民を取材。
AARインターンとして東京事務局で広報業務(web/SNS発信、翻訳作業など)をサポート。高校生時代に見た欧州難民危機(2015年)のニュースをきっかけに難民問題に興味を持ち、大学では国際法や国際政治を専攻。趣味は水族館めぐりとペンギングッズ収集。
そもそも「難民」というのはどんな人たちのことですか?
難民とは、紛争や迫害から自分と家族の命を守るために、祖国を離れて国外に逃れざるを得なかった人々のことで、「難民条約」に明確な定義があります。まず、実際の例として、シリア難民の女の子を紹介しましょう。
すべてを失い、国を逃れ…レザーンちゃん(5歳)
レザーンちゃんは内戦が続く中東シリアで暮らしていたとき、砲撃に巻き込まれて右脚を失いました。当時のことをお母さんが話してくれました。
「家に砲弾が落ちてきて、3歳だったレザーンは一瞬で右脚をなくし、2歳の弟は1時間後に息を引き取りました。私も怪我をしましたが、この子たちの身に起きたことに比べれば...」
一家は混乱が続くシリアを逃れ、現在は隣国トルコで暮らしています。
「今は夫が路上でパンを売って、何とか生活費を稼いでいます。私はトルコ語がわからないので、ずっと家にいるだけです」
レザーンちゃんは他の子どもに障がいをからかわれることもあり、「私はどうして学校にいけないの? 学校で勉強したり、お友達と遊んだりしたいのに」と涙をこぼしてお母さんに訴えます。そんな時、お母さんはレザーちゃんを優しく抱きしめることしかできません。
2011年に始まったシリア内戦による死者は50万人近くに上り、10年余りを経て未だに終息していません。トルコでは、レザーンちゃん一家のようなシリア難民約370万人が、いつか祖国に帰れる日を夢見ながら暮らしています。
※年齢は取材当時のものです。
解説コーナーシリア難民問題について
本当に胸が痛みます・・・難民や犠牲者の数といったデータよりも、一人ひとりに何が起きているのかを知ることが大切なんですね。
そうですね。日本では想像も付かない過酷な経験をして、故郷を追われた人々は世界中に1億人以上います。もう少し詳しく説明しましょう。
©Yoshifumi Kawabata
難民とは、紛争や迫害から
自分と家族の命を守るために、
国外への避難を余儀なくされた
人々のことです。
1951年に採択された「難民の地位に関する条約」(難民条約)では、以下のように定義されています。
「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」
また、近年は政治的理由ばかりではなく、紛争や社会の混乱で危険を感じて祖国を出た人々を含めて、より広い意味で難民とみなすようになっています。
こうした人々は、難民になる前は私たちと同じように家族と一緒に暮らし、仕事をしたり学校に通ったり、将来の夢を抱いたりして生きていました。それがある日、穏やかな日常を断ち切られ、家や財産、家族さえ失い、住み慣れた町や村を離れなければならなくなってしまったのです。
難民として生きなければならなくなった人々も、今まさに置かれている過酷な状況を除けば、私たちと何ひとつ変わりません。
解説コーナー「難民の地位に関する条約」難民条約について
なるほど。難民というのは特殊な人々ではなく、難民になるまでは私たちと同じように普通に生活していた人たちなんですね。そう考えると、自分たちには関係ないなんて言っていられません。
その通りです。難民は「何もできないかわいそうな人々」とか、「どこか遠い世界の関係ない人たち」ではありません。実際に接してみればわかりますが、私たちとまったく同じ対等な存在なのです。紛争などによって、彼らが理不尽に奪われた生活や権利を取り戻す手伝いをするのが、私たちが取り組む難民支援の目的と言えるでしょう。
©Yoshifumi Kawabata
増え続ける世界の
難民・国内避難民
紛争や迫害などが原因で故郷を追われた人々のうち、国境を越えて海外に逃れた人々を「難民」、自国内の他の地域に避難している人々を「国内避難民」と呼びます。
世界の難民・国内避難民は近年、増加の一途をたどっており、1億1,730万人に上ります(2023年末時点)。これは世界人口の1.4%以上、日本の人口の94%以上に当たります。難民・避難民全体の約40%は18歳未満の子どもで、親を失った子どもたちも少なくありません。
世界の難民・国内難民
1億1,730万
人
世界の人口の
1.4%
以上
日本の人口の
94%
相当
18歳未満の子ども
40%
以上
世界の難民・国内避難民などの推移
出典:UNHCR Global Trends 2023を加工
では、難民はどこで生まれているのでしょうか。難民や国際保護を必要としている人の73%は上位5カ国に集中しています。
①アフガニスタン640万人、②シリア640万人、③ベネズエラ610万人、④ウクライナ600万人、⑤南スーダン230万人
世界で最も多くの難民が生まれているのは、政情不安が続くアフガニスタンで、その9割はイランとパキスタンに逃れています。次いでシリア難民が多く、トルコやレバノンなどの近隣諸国に受け入れられています。
難民を生み出している国
AFGHANISTANアフガニスタン
640万
人
SYRIAシリア
640万
人
VENEZUELAベネズエラ
610万
人
UKRAINEウクライナ
600万
人
SOUTH SUDAN南スーダン
230万
人
難民を受け入れている国
IRANイラン
380万
人
TURKEYトルコ
330万
人
COLOMBIAコロンビア
290万
人
GERMANYドイツ
260万
人
PAKISTANパキスタン
200万
人
出典:UNHCR Global Trends 2022を加工
難民の75%は、経済的に恵まれているわけではない低中所得国が受け入れています。
①イラン380万人、②トルコ330万人、③コロンビア290万人、④ドイツ260万人、⑤パキスタン200万人
故郷よりもさらに不自由な環境に避難せざるを得なかったり、逃れた先で別の紛争に巻き込まれて何度も避難を繰り返したりする場合もあります。
こんなに多くの人が世界中で大変な思いをしているんですね。難民問題を解決するには、どうすればいいのでしょうか?
残念ながら、難民問題を魔法のように一瞬で解決する方法はなく、実際には多くの場合、長期化が避けられません。それでも、各国政府や国連機関、NGOが連携して、さまざまな方法を模索しながら解決に向けて取り組んでいます。
©Yoshifumi Kawabata
難民問題は
どうすれば解決するのでしょうか。
それには、3つの解決策があります。
最も理想的なシナリオは、紛争が終結するなど難民発生の原因が解消され、難民が安全な環境で祖国や故郷に帰還し、平和な暮らしを取り戻すことです。
しかし実際には、難民が短期間で祖国に戻れることは少なく、10年20年と長期化するのが通例です。長期化は難民だけではなく、難民を受け入れている周辺の国々・地域にとっても大きな負担になります。
また、難民が最初に保護を求めた国から、新たに受け入れを認めた別の国に移って生活する「第三国定住」という方法もあります。
主な受け入れ先は米国、カナダ、オーストラリア、欧州諸国などで、日本も少人数を受け入れています。しかし、第三国定住を認められる難民は全体のほんのひと握りに過ぎません。
いずれの解決策も実現は容易ではなく、ひとつの国や民族だけで数百万人規模になることもある難民問題が解決するには、非常に多くの困難が伴います。
難民問題とは何か
難民問題は政治・経済・民族・宗教・歴史的背景が複雑に絡み合い、国境を越えて複数の国が関係します。そのため、当事国だけで解決することは難しく、国際社会が協調して向き合うことが求められます。国連が取り組む難民問題は、もともと第二次世界大戦で生まれた欧州難民が主な対象でした。しかし、その後も東西冷戦や民族・宗教対立、経済格差などに起因する紛争が世界各地で相次ぎ、その数は近年増え続けています。個々の紛争の原因はさまざまですが、世界の難民問題は大規模化かつ長期化しています。
難民問題に対処するには、国連機関や国際援助機関、各国政府、民間企業、NGO/NPOなどの市民社会が協力して取り組むことが不可欠です。難民支援の現場では、国連機関やNGOなどさまざまなアクターが、各政府や市民社会の後押しを受けて、支援を必要とする難民を支えるため活動しています。先進国で暮らす私たちにとっても、難民問題は他人事ではありません。テロや犯罪行為も簡単に国境を越える今日のグローバル化した世界において、難民に支援を届け、難民が発生している地域に平和と安定をもたらすことは、私たちの平和な暮らしを守ることにもつながります。何よりも、難民の人々の苦しみ、悲しみを理解し、手を差し伸べられるのは、同じ世界で同じ時代を生きる私たちしかいないのです。
難民支援の目的は、難民を保護して命を守ること、あるいは食料を配付したり医療を提供したりすることだけではありません。理不尽に奪われた自由と人権を保障し、彼らの尊厳を回復すること、そして人々の平和な生活と人生を取り戻すことにあります。それは決して容易ではありませんが、そこにしかゴールはありません。
本当に難しいことなんですね。日本を含めて、国際社会が協力しなければならないことがわかりました。ところで、AARは「日本生まれの国際NGO」ですが、どういう背景があって創設されたのですか?
ベトナム戦争のことは知っていますよね。次はAAR誕生のきっかけとなった1970年代のアジア情勢と日本社会の関係を振り返ってみましょう。
「ボート・ピープル」と呼ばれる
難民が日本にも漂着し、
日本政府は1978年、
難民の定住を認めることを決定
1975年のベトナム戦争終結後、社会主義体制への変革したインドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)からは迫害や混乱を恐れる百数十万人の人々が国外への脱出を図りました。
1970年代後半から1980年代前半には、いわゆる「ボート・ピープル」と呼ばれる難民が日本にも漂着し、日本政府は1978年、難民の定住を認めることを決定しました。
このインドシナ難民問題をきっかけに、日本は1981年に「難民条約」に加入。2005年までに1万1,319人のインドシナ難民の定住を受け入れました。
2010年以降はミャンマー難民などの第三国定住を受け入れていますが、その規模は非常に限られており、現時点では試験的な取り組みに留まっています。また、日本は欧米諸国に比べて、難民申請に対する難民認定の割合が極端に少ないことが指摘され、「難民鎖国」と批判されることもあります。人権・人道上の観点に立って、法律・制度面の改善に向けたさまざまな論議が続いています。
インドシナ難民という言葉は聞いたことがあります。日本にも多くの難民の方々が来ていたんですね。
その中で生まれたのが、現在のAARの前身「インドシナ難民を助ける会」です。民間の立場で難民受け入れを日本政府に働き掛けるとともに、日本での定住をサポートするなど、難民支援の先駆けとも言える歴史があります。
このインドシナ難民の
発生を受けて誕生したのが、
AAR Japanの前身である
「インドシナ難民を助ける会」です。
創設者の故・相馬雪香は、インドシナ難民の受け入れを政府に働き掛ける一方、民間の力で問題解決に取り組もうと、1979年11月に会を創設しました。
「インドシナ難民を助ける会」では、タイ・カンボジア国境の難民キャンプに支援物資を届けたり、日本で暮らすことになったインドシナ難民の定住支援をおこなったりしました。その後も日本で暮らす元難民の方々の就学・就労をサポートし、そうした取り組みは現在、AARの姉妹団体である社会福祉法人「さぽうと21」に引き継がれて続いています。
1984年、 AARはアフリカで人道支援活動を開始するのに伴って「難民を助ける会」と改称しました。その後、紛争下の旧ユーゴスラビアで難民支援に取り組むなど、その活動地域は世界各地に広がっていきました。活動分野も、紛争地の地雷・不発弾対策、開発途上国の感染症対策・水衛生改善、障がい者支援など、現場で必要とされる支援に対応する形で少しずつ広がりました。
現在は日本国内の大規模災害の被災者支援や障がい者支援にも力を入れています。
なるほど!AARは現在、世界中でさまざまな人道支援をしていますが、難民支援を「原点」として、活動が広がっていったのですね。
はい。AARが国内外を問わず、幅広い分野で活動しているのは、すべて相馬雪香初代会長が 残した「弱い立場にある人々に手を差し伸べよう」という精神に基づいています。こうした姿勢に共感する多くの個人や企業の皆さんが、AARを長年応援してくださっているんですよ。