「何これ?変な名前だな~」。半世紀も前の記憶ですが、日本中が見守った「あさま山荘事件」を経て左翼運動が急速に退潮に向かいつつ、その気運がまだ濃厚に漂っていた1970年代。とある地方都市の小学生だった私は、いつもの通学路にある商店街でふと足を止めて、電柱に貼られた自主上映会の粗末なビラを見上げました。
映画『戦艦ポチョムキン』。現在のウクライナ南部オデーサ(オデッサ)を舞台に、第一次ロシア革命を描いた旧ソ連時代のサイレント映画(1925年制作)です。世界の映画史上、最も重要な作品のひとつとされますが、小学生の私がそんなことを知るはずもなく、ポチョムキンという珍妙な語感が何だか嬉しかったに過ぎません。
初めて観たのは大学生の時で、水兵の反乱を招いたウジ虫まみれの牛肉、帝政打倒に目覚めたオデーサ市民の高揚、そして「ポチョムキンの階段」での軍隊による市民虐殺シーンの印象は強烈でした。この階段の場面は史実ではないのですが、「乳母車の階段落ち」はパロディになるほど有名なので、映画通ならずともご存知でしょう。
「黒海の真珠」と呼ばれるオデーサの歴史地区は、ロシアによる軍事侵攻が続く今年1月、ユネスコの世界遺産の緊急登録と同時に「危機遺産」にも指定されました。有名な階段もその一角にありますが、懸念された通り、ウクライナ正教の大聖堂がミサイルの直撃で大破するなど、かけがえのない歴史的建造物が危機に瀕しています。
そもそもポチョムキンとは、帝政ロシアのクリミア総督だった公爵(軍人)の名前であり、「大ロシア主義」の妄想に取り憑かれた大統領プーチンは、そのレガシーを信奉して2014年のクリミア半島併合に踏み切ったと言われます。ウクライナ南部ヘルソン州の大聖堂に納められていたポチョムキンの遺骨もロシアに持ち去られたとか。
戦時下にある「ポチョムキンの階段」は現在立ち入り禁止。しばし風景を眺めながら、遠い日のことを思い出しました。上映会を催した人たちは当時、ポチョムキンの名に「圧政からの解放」を思ったのでしょうが、半世紀後の今日、それが「プーチンの戦争」の基底を成し、市民の殺りくを招いているのは皮肉としか言いようがありません。
私たちがリアルタイムで目撃しているのは、モノクロ古典映画の虚構の虐殺ではなく、紛れもない現実です。映画のほうは連帯を謳い上げる歓喜の大団円で終わりますが、この21世紀の戦争は未だ終幕が見通せないまま、もうすぐ2年を迎えます。「変な名前」というだけで愉快だった頃の記憶が、少しばかり切なく感じられました。
中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局兼関西担当
全国紙の海外特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣でアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現場を継続取材。2017年AAR入職、バングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に約2年間携わる。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』、共著『緊急人道支援の世紀』、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』ほか。