4月3日に発生した台湾東部地震を受けて、AARは緊急支援チームを現地に派遣しました。被災地入りしたメンバーのひとりで、10歳から13歳までの3年間を台北で過ごした東京事務局の栁田純子が、「第二の故郷」台湾で感じた思いをお伝えします。
私は4月6日に東京から台北に到着し、他のメンバーと合流して、翌7日の朝一番の特急列車で花蓮に入りました。被災地の花蓮は、子どもの頃、家族旅行で観光名所「太魯閣渓谷」に行ったのが最後で、今回約40年ぶりの訪問でした。台北から花蓮までの車窓の景色は、台北近郊の発展を除くと風光明媚な田園風景が広がり、昔のままという印象でした。一方、花蓮駅は見違えるような現代的な建物で、台湾全体の経済発展を実感しました。
台湾は親日家の方が多いことで有名ですが、実際に私が住んでいた頃も、ご近所さんや家の近くの朝食屋台の店主、ピアノ教室の先生や友人など皆さんとても優しく接してくださり、私たち家族の台湾での生活をサポートしていただきました。今でも家族で台湾の思い出話をよくしています。
一方で、40年経った今、さまざまな台湾の歴史を学び、単純に「台湾は親日」のひと言で片付けてはいけないという気持ちも持っています。花蓮はさまざまルーツやバックグラウンドの人々が共存している地域ということもあって、少なからず緊張感をもって入りました。花蓮は山間部など先住民族の人々が多く暮らす地域であり、17世紀に欧州から宣教師が派遣されたことで、現在も台湾のキリスト教徒の大半は先住民族なのだそうです。
花蓮に到着して真っ先に訪問したパートナー団体「Mustard Seed Mission(MSM)」の緊急支援チームも被災地の花蓮をはじめ、台北、台南など各地から集まった多様なスタッフ8名で構成されています。非常にフラットなチームで、責任者の呉優琴さんをリーダーとしてスタッフの皆さんがそれぞれの持ち味を生かしながら働いているという印象を受けました。被災現場や避難所には、呉さんの運転でMSMスタッフとAARスタッフが同じ車両で移動しましたが、花蓮のことや台湾と日本双方の防災の取り組みなどを、たまに冗談を交えながら話し、チームの風通しのよさを実感しました。
台風や地震など自然災害が多発する花蓮では、平時からのNPO/NGO間の連携がとても強いそうです。今回の地震発生直後も、避難所で支援団体のブースを設置する際、各団体の強みやセクターをみんなが把握しているからこそ、スムーズに役割分担して進められたとのことで、平素からの団体同士のつながりの大切さを改めて学びました。
私たちが花蓮を最初に訪問したのは4月7日の日曜日だったのですが、訪問した避難所の小学校は、教育を中断してはいけないと週明け9日の火曜日には学校を再開すべく、避難者の皆さんがスペースを確保できる近くの大学施設に移動していました。発生後5日でこんなに先を見通した被災者支援ができるのかと、私たちが学ぶことがたいへん多い被災地訪問でした。
周辺国や自然災害の脅威とともに歩んできた歴史からでしょうか、自分たちの社会は自分たちで守るという意思や、有事においても多様な人々がそれぞれ大切にしているものを守ろうとする気持ちを、支援者からも被災者からも感じ取ることができて、私が愛する台湾は支援の現場でも変わることはありませんでした。
台湾東部地震の被災地では、官民の迅速な対応で緊急支援はひと山越えたものの、道路が寸断されてアクセスしにくい地域など、支援が充分に行き渡っているとは言えません。AARとMSMの協働による被災者支援は今後も続きます。日本の皆さんが、この愛すべき「隣人」にいっそう関心を持っていただければと思っています。
ご支援のお願い
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ご協力に心より感謝申し上げます。これまでにお寄せいただきましたご寄付で活動を継続いたします。(2024年4月11日更新)
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※AARは東京都により認定NPO法人として認定されており、ご寄付は寄付金控除の対象となります。
栁田 純子YANAGIDA Junko東京事務局
ピアノ教師としてトルコで7年間暮らした後、2013年AAR入職、トルコ事務所と連携してシリア難民支援に携わる。現在はウガンダ、ケニアの難民支援事業を担当。