まだ、暑さも厳しくない5月下旬、朝の5時台に家を出て福島県相馬市にあるAARの倉庫に向かいました。AARが長年使っていた倉庫の撤収作業のためです。
この倉庫の始まりは東日本大震災。AARは被災地の復興支援のため相馬市に事務所を設けており、同事務所を閉じてからも倉庫として使用していました。主に2012年から続けて来た「西会津ワクワク子ども塾」という親子イベントのための備品を保管してきましたが、昨年12月で事業が終了したことから、倉庫の撤収となりました。
「ワクワク子ども塾」が始まったのは2012年7月。福島第一原発事故の影響で、外遊びが制限されていた福島県浜通りの子どもたちに、思いっきり野外での遊びを楽しんでもらおうと、当時東京事務局で東北事業を担当していた直江篤志さんが中心となって始まりました。直江さんが駐在員としてザンビアに赴任してからは、調理師免許を持つ同じく東京事務局の浅野武治さんが主担当として実施してきました。
大変残念なことですが、直江さんは2018年7月、休暇で訪れていたトルコでマラリアを発症し、1カ月の闘病後かの地で、浅野さんは2022年2月に病気のため亡くなりました。
二人ともこのプロジェクトをより良いものにしようと毎回アイデアを絞り、被災した親子がいっときでも被災地の辛さを忘れて楽しい時間を過ごせるよう、心を砕いていたと聞きました。
私はタジキスタン事務所から東京事務局に異動になり、2023年2月からこのイベントを担当しています。倉庫の中には浅野さんが長年使用していたフライパンや大鍋、包丁など沢山の調理器具がありました。過去11年間の思い出がぎっしり詰まった備品たちを処分するのは心苦しく、片づけをしながら事業の思い出を思い返しつつ作業を進めました。 備品の一部は地域の方にも使っていただけるとのことで一部を残し、そのほかはリサイクルセンターなどに持ち込みすべて処分しました。
思い出と感謝の気持ちは私たちの心に残して倉庫の撤収作業は終わりました。最後に鍵を返却するため、長年倉庫を貸してくださっていた鈴木一弘さんの元に向かいました。鈴木さんは、事務所や倉庫だけではなく、「ワクワク子ども塾」の事業でも西会津町の子どもたちが相馬市を訪問した際に、子どもたちに被災地の話をしてくれたこともあります。
鈴木さんは、東日本大震災からのことを振り返り、震災からの復興のさなかで、令和元年台風19号豪雨で被災し、ご自身の勤務先が2m浸水したことや、被災者の気持ちは被災者にならないとわからないこと、能登半島地震が起きて自分も何か関わりたいが今は自分自身の復興のことしか考える余裕がないといった、率直な気持ちを共有してくださいました。そして、相馬市でのAARの活動への謝意をお伝えくださいました。
約11年間にわたり、鈴木さんをはじめボランティアや地域の方々、多くの人々がいたからこそ実施できた「ワクワク子ども塾」。誰一人欠けてもここまで続けることは出来ませんでした。改めて、これまで関わってくださった皆さまへの感謝の念と、そんな事業の最後を見届けられた幸せを実感しました。
堀尾 麗華HORIO ReikaAAR東京事務局
在ボツワナ日本国大使館、ユニセフネパール事務所で勤務後、2020年AARに入職。英国の大学院で障がいと開発の修士号取得。タジキスタンでの駐在員を経て、東京事務局でミャンマー事業や国内災害支援に従事。