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スタッフ紹介

「私がAARを選んだ理由」鎌田 舞衣 これから国際協力の分野を目指す人たちへ(22)

2020年10月30日

    AAR Japan[難民を助ける会]のスタッフがどんな想いで国際協力の世界に飛び込んだのかを紹介するこのコーナー。第22回は東京事務所の鎌田舞衣です。普段の業務内容や緊急支援の現場で感じたことを聞きました。(聞き手:東京事務局 園城蕗子)


    故郷、そして子どもたちへの想いを胸に

    「学童保育では、大人が気付かないような本質的なことを見抜いたり、ウソをつけない子どもたちの人間味、愛くるしさに魅了されました」(2020年10月、東京事務所)

    -国際協力業界を目指したのはいつ頃ですか

    こう話すと驚かれるかもしれませんが、まさかこの業界で働くなんて思っていなかったんです。 4歳からピアノに没頭し、大学でも音楽を専攻しました。演奏技術を磨くため一日中練習室にこもる一方、中学・高校の音楽教員の資格を取ろうと教職課程を履修したり学童保育のアルバイトにと、忙しい日々を送っていました。

    小学校1年生から6年生が通う都内の学童保育の指導員の補助のアルバイトでは、子どもたちと一緒に遊んだり勉強のサポートをしていました。子どもたちと過ごす時間は日々刺激的で、何ものにも代えがたい新鮮さ、面白みに溢れていて、「子どもに関わる仕事に従事したい」と、小学校の教員免許を取得できる大学院に進学しました。

    「周りには音楽家としてプロを目指すような人もいた大学時代。ピアノとパイプオルガンにひたすら向き合う日々でした」

    大学院2年にさしかかる2011年3月11日、東日本大震災により故郷である岩手県が被災しました。このとき初めて、「故郷に対して何かしたい」との思いで胸がいっぱいになったんです。すでに教員免許は取得したし、教壇に立ちたければいつでもチャレンジできる状態。私は「今」故郷の子どもたちになにかしたいと、院修了後、岩手県で子どもの教育支援を行う国際協力団体へ入職しました。

    -故郷や子どもたちへの想いを胸に飛び込んだ被災者支援の現場。何を思い、考えましたか

    私が入職したのは、発災から1年が過ぎた2012年6月。建物や公共サービスの復旧さえ見通しが立たない頃で、子どもたちは将来の夢を描きにくくなっていました。夢を抱いたり、後押しできるようなワークショップの開催や、子どもたちの居場所づくり、学習のサポートを行いました。

    教育って、効果がすぐには出にくいものだと思います。大きなインパクトを与える瞬間もありますが、変化が見えにくく、自分のやっている活動の意義に思い悩むことがありました。そんなある日、所属していた本部(東京)の職員から、活動を応援くださる一人の支援者さんのメッセージを伝えられたんです。そのメッセージに、とても励まされたと同時に、「原動力になっていた私の想いは、現場にいる自分だけのものではない」と気づかされました。そして「小さくとも確かな変化に気付き、ご自身の想いを託して応援くださっている方々の気持ちに応えたい」と思うようになりました。
    入職して4年が経過し、岩手県の事務所が閉鎖される頃、AARの求人を目にし、応募しました。

    前職の支援現場で。「日々の積み重ねのなかで何かが変わったりする、それが教育支援の醍醐味であり、難しく感じる点でもあります」 ⓒAtsushi Shibuya

    状況が一変し、不安を抱える子どもたちが、少しでも安心して過ごせるよう、バスでのびのび遊べる場所に連れて行くことも。左に写るのは仮設住宅。左から2番目が鎌田 ⓒAtsushi Shibuya

    人と人をつなぐ「橋渡し」

    「日々現場で業務に奔走する職員に、少しでもエネルギー源のようなものを投じられていたら嬉しいですね」

    ―「支援者サービス」とはあまり耳慣れない部署ですが、日々どのような業務をされているのですか

    年間数万件に及ぶご寄付すべてに目を通し、情報管理や領収証、お礼状の発送を行っています。また、平日や土曜日にお越し下さるボランティアさんのコーディネートや問い合わせ対応、年に2回、支援者層を拡大するキャンペーンなどにも取り組んでいます。ご寄付に関する業務は、数にすると膨大な量に思えますが、一つひとつ、想いの込められた大切なご支援です。「お寄せいただいたご支援のおかげで私たちはこうした活動ができている」と、お礼状を通して「ご寄付のその先」をお伝えすることが、支援者サービスに課せられた、AARに欠かせない役割です。

    一方で、会内の職員へ、ご寄付の状況や支援者さんからのメッセージを伝えることも大切にしています。それは、かつて私が前職で思い悩んだときに支えられた経験から、今度は私がその役目を担えたらと。個人情報が溢れる社会においてミスが許されない、緊張感伴う業務ですが、40年の歴史を持つAARで支援者さんと職員をつなぐ「橋渡し」のような、やりがいのある仕事です。

    支援の必要性は、比べられるものじゃない

    ―緊急支援チームの広報要員として、いくつもの現場を訪れましたね

    はい、西日本豪雨(2018)、北海道地震(2019)、台風19号(2019)と、いずれも発災直後に現地入りし、ニーズ調査や支援物資の提供を行いました。私は広報要員として、目の前にある凄惨な状況をいち早く正確に東京本部に伝え、支援の必要性を訴えられるよう、動画や写真撮影、調査で聞き取った情報の共有に努めました。

    ―発災直後だからこそ分かること、見えてくるものがあったのでは。現地でどんなことを感じましたか

    西日本豪雨災害の爪痕が随所に残る被災地。「現地で車を手配し、必要な支援の調査、支援物資の調達を行うなか、『一日でも早く日常を取り戻したい』という施設職員の想いに、私が力をもらいました」(2018年7月、愛媛県大洲市)

    2つ、印象に残ったことがあります。1つは、個々のニーズに合わせた支援の重要性。自宅が損壊し、見るからに支援を必要とする方の多くが「私はかまわないから、もっと大変な方を支援して」と答えるんです。でも、支援の必要性は一概に比べられるものじゃない。目の前にいる人が困っている、だから支援する。それがAARが設立当初から大事にしてきた、あるべき姿です。

    2つめは、障がい者支援の大切さ。AARは、災害時にとりわけ困難な状況に置かれがちな障がいのある方の支援に力を入れていますが、「障がい者支援」と聞くと難しそう、大変そうなイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか。でも、実は、ほんのちょっとのサポートで、劇的に状況が改善されることがあるんです。例えば障がい者福祉施設に車両一台を提供するとします。利用者さんの送迎が再開されたり利便性が改善されるだけでなく、施設職員の負担も軽減され、その職員のご家族も、家族との時間が増えて安心できたり、好循環が生まれます。職員も安心して仕事に向かえるようになったりと、一つの物資提供が、想像以上の波及効果をもたらすことに気付きました。

    学びに溢れる日々。思い立ったら飛び込んで

    「お礼状や領収証の発送は、ボランティアさんの協力に支えられています」。ボランティアの佐々木千佳子さん(左)と(2019年5月、東京事務所)

    ―最後に、国際協力業界を目指す人にメッセージを

    この業界で働いて9年目になりますが、全然違う世界からきたので、いまだに新鮮に感じることが多いです。国内外の職員や支援者さん、ボランティアさんと話すなかで、日々学びを得ています。こうした気付きや学び一つひとつを、大切に、業務に活かしています。今、国際協力を目指す方々には、「今いる世界が全然違っても、どんな年齢でも、思い立ったら飛び込んでください。」と伝えたいですね。必ず、活躍できる場所があると思います。

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