こんにちは。東京事務局広報コミュニケーション部の鎌田舞衣です。AAR Japan[難民を助ける会]は、2024年11月に創立45周年を迎えました。今でこそ事務所では50人を超える職員が働いていますが、設立から10年以上、AARの活動はすべてボランティアによって運営されていたそうです。有給職員が誕生したのはなんと90年代以降。まさに、AARの歴史にボランティアあり!です。
現在も、月曜から土曜まで毎日5~6人のボランティアさんが活動してくださっています。午後になると次々と事務所に訪れるボランティアさんたちの笑顔で、静かな事務所が一気に明るく活気づくのが日常風景です。
ボランティアさんたちの主なお仕事は、年間数万件にのぼるご寄付の領収証や郵便物の発送、チャリティグッズの梱包、データ入力、寄贈いただいた書き損じハガキの集計、イベントのお手伝いなど多岐にわたります。
現在約70人のボランティアさんが活躍しており、始めて数カ月の方から20年以上続けてくださっているベテランまで、そのスタイルは多種多様です。参加のきっかけは、「海外で助けてもらった恩返しがしたかった」「友人に誘われて参加してみた」「テレビでAARを知り、近所だったので」とさまざまです。活動のやりがいをたずねると、「達成感がある」「異なるバックグラウンドの方々との交流が楽しい」「毎週この曜日はAARに来るって、周りの人にも言ってるのよ。今では生活の一部!」といった声が聞かれます。一時帰国した駐在員の報告会を楽しみにしてくださる方も少なくありません。
私自身は、学生時代は国際協力とはかけ離れた音楽を専攻していました。海外で学ぶ機会に恵まれ、訪れた国々で経済格差を目の当たりにしました。支援を必要とする方々の存在を実感しながらも、「何か行動したいけれど、私なんかが行ってもかえって足手まといにならないだろうか……」と逡巡してばかり。しかし、自分の故郷が東日本大震災で被災し、他人事ではなくなったとき、「自分にもできることがあるはず」と、国際協力の世界に飛び込む決意をしました。
AARでの活動を通じて出会ったのは、自分の生活や仕事と両立しながら、それぞれのペースで力を発揮されるボランティアさんたち。自分がなかなか踏み出せなかった一歩を華麗に踏み出し、キラキラと輝く姿は、私にとって大きな憧れの存在となりました。
ご自身の仕事がきちんとできていたか気にされて、翌日確認のお電話をくださったり、やり残したことがあるからと、休みの日にも事務所に来て作業されたりと、その真摯なお仕事ぶりには頭が下がります。多忙な時期には「できることは何でもやるから遠慮なく言って」「健康が一番、無理しないでね」と優しい言葉をかけてくださり、精神的にも大きく支えてもらっています。つい自分の仕事を終わらせることに集中しがちな業務の中、ボランティアさんのお仕事ぶりは、「どんな小さなことでも、できることをやる」という入職時の熱い気持ちを思い出させてくれます。
憧れのボランティアの皆さまのお力を借りながら、私も日々一歩ずつ歩みを重ねています。AARが創立45年を迎えた今、これからも多くの方に応援され、信頼される団体として成長していけるよう、邁進してまいります。
鎌田 舞衣KAMATA Mai広報コミュニケーション部
大学院修了後、学童保育の指導員や東日大震災被災地で活動するNGOでの勤務を経て2016年にAARへ