ミャンマー、タジキスタンなどの海外支援事業を統括。普段の笑顔からは想像できないほど多くの修羅場をくぐり抜けてきました。

野際 紗綾子 AAR東京事務局にて
支援の道に入ったきっかけは?
私の場合ははっきりしています。2001年のアメリカ同時多発テロです。大学を卒業した後、外資系金融機関で勤務していましたが、そのニューヨーク支店は、航空機が突撃したワールド・トレード・センター(WTC)の数ブロック先。多くの同僚が働いており、本当に心配でした。
その時からWTCに象徴されるような先進国の金融業界とは対極にある、アフガニスタンなどの開発途上国で貧困に苦しむ人々の暮らしや考え方を理解したいと思うようになりました。退職して大学院に進学することを決め、その時「勉強しながら勤務してよい」と言ってくれたAARに入りました。2005年のことでした。
入職してからの印象は。
恥ずかしながらそれまで地雷問題についても、障がい分野の問題についてもほとんど知らず、支援の活動現場は衝撃的でした。2008年ミャンマーのサイクロン・ナルギス、2009年のインドネシア・スマトラ沖地震、2010年パキスタン洪水、そして2011年の東日本大震災と、毎年のように緊急支援で現地に赴き、学ぶことが多くありました。
ミャンマーのサイクロン・ ナルギスは死者約14万人の大災害でしたが、当初は国連も国際NGOも現地に入れず、前駐在員からの「念のためビザを取っておくとよい」とのアドバイスで1年間有効なビザを取得していた私だけが現地入りできたのです。全く支援が届かない現場で、障がいのある方々が取り残されていた姿が忘れられません。そのままミャンマーにとどまり、緊急支援を統括しました。

ミャンマーの障がい児世帯に緊急支援物資を配付=ミャンマー・ヤンゴンで2008 年5月11日
特に印象に残っている現場は?
東日本大震災の現場は、それまで見てきた被災地と比べてもひどく、圧倒されました。発生2日後に現地に入り、その後2年間、東北事務所長として支援に携わりました。痛感したのは障がい者など脆弱性の高いグループの人々がより多くの被害を受け、さらに復旧・復興からも取り残されていく「累積的被害」が生じていることです。残念ながらこの問題は今でも発生しています。
ひどい災害現場では、無力感に襲われたりしませんか。
あまりにも圧倒的な自然の脅威による惨状を目の当たりにして、自分の無力さに愕然とすることがあります。当たり前ですが、AARだけでできることには限界があります。東日本大震災の被災者支援から学んだのは、行政や他の団体などとの調整とネットワークの大切さです。自治体、地域住民、当事者団体、他のNGO団体や障がい福祉施設の方々と相談し、分担し、励まし合いながら支援を作り上げていきます。そのネットワークやご縁は、今でも能登半島地震などの支援で生きています。
現場では思うようにいかないことが多くて、もう日々反省と落ち込みの連続なんです。でも、素の自分のままそれをさらけ出すことで「大変だね」「大丈夫?」といろんな人が自然と助けてくれる。それに救われています。

サイクロン・ナルギスの被災地を視察する野際(左)=ミャンマー・エーヤワディ地域で2008年7月8日
アドボカシー(政策提言)の担当や外部団体の役員もしています。
世界的な課題を中長期的に解決していくためには、現地で活動を実施するだけでは不十分で、そこで拾い上げた声を政策提言として政府や国際機関、市民社会に訴え、行動変容につないでいく必要があります。ただ、こうした活動もAARだけでできることは限られており、他団体と連携して進めていく必要があります。
現在、認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム(JPF)常任委員を務めています。JPFは、日本政府、企業、NGOが連携して世界の緊急支援活動を展開する組織です。このほか、UNHCRとNGOのネットワークであるJ-FUN(日本UNHCR・NGO評議会)共同代表や、約60の当事者団体で構成される日本障害者協議会(JD)理事や障害分野NGO連絡会(JANNET)の幹事なども務めています。
とても忙しそうです。仕事とプライベートの両立はどうやって。
最近は毎月のようにミャンマーに出張し、夜間のオンラインミーティングも多いのですが、夫をはじめ、家族の理解に支えられています。特に小学生の娘と息子が「ママは大事な仕事をしている」と思ってくれているのが、とてもうれしいし、励みになっています。夫の両親には「いつ子どもが遊びに行ってもいい」回数券をもらい、その気遣いに感謝の気持ちしかありません。少しでも時間をつくって家族で旅行をすることと、大好物のヒレカツを食べるのがリフレッシュ方法です。
特に伝えたいことはありますか?
まず、今これを読んでくださっている方に、難民・避難民の問題やAARの活動に関心を持っていただき、ありがとうございますと伝えたいです。世界ではメディアに取り上げられず、ドナーの関心も集まらない「忘れられた危機」となっている難民問題や人道危機が多数あります。ウガンダ、スーダン、レバノン……こうした地域では事業を進めるうえでの困難も多く、職員も試行錯誤しながら活動しています。でも一人でも多くの人が笑顔になれる社会の実現を目指して、ベストを尽くしていきたい。そのためにも関心を持ち続けていただきたいです。