
ミャンマー・ヤンゴン事務所にて
AARで働いて22年余り、ヤンゴン事務所を支える所長ワーワーさんに、人道支援の原点とその想いについて聞きました。
支援活動に取り組む原点を教えてください。
皮膚科医としてハンセン病患者の治療に携わっていた父の影響で、私も社会に貢献したいと考えるようになりました。幼い頃から父に「ハンセン病患者を差別してはいけない」と教えられました。ハンセン病患者が暮らす隔離された村を何度か訪れたこともありますが、怖いと感じたことは一度もなく、その経験は今も心に強く残っています。
大学で物理学を専攻した後、貧困地域の経済支援に関わる仕事を経て、ヤンゴンでAARが障がい者のための職業訓練校を運営していることを知って2003年に入職しました。
AARでの仕事で最も心に残っている経験は?
2008年のサイクロン・ナルギスの緊急支援です。1万3,000世帯に物資を届け、12カ所で医師や看護師を派遣する巡回診療を行いました。2人の赤ちゃんの安全な出産を支えた経験は忘れられません。母親のひとりは「AARへの感謝を忘れないように」と、生まれた子どもに「エーエーアール」と名付けたんですよ。
ナルギス緊急支援と今回の地震支援の違いは?
ナルギスの被災地は農村の貧しい地域でしたが、今回は震源地がマンダレーなどの都市近郊で、裕福な人から貧しい人まで幅広い層が被災しました。画一的な支援ではなく、一人ひとりの事情に寄り添った支援が求められます。

親身に部下の業務をサポート
AARの職業訓練校はどんな成果をもたらしていますか?
障がいのある多くの訓練生の人生を変えています。例えば、事故で片脚を失った男性は美容技術を学んでサロンを開業し、数人のスタッフを雇うまでに成長しました。ポリオの後遺症でいじめや差別を受けてきた経験のある男性は、縫製技術を磨いて、実力派デザイナーとして知られるようになりました。テレビや雑誌にもたびたび紹介され、今では家族の生活を支えています。

AARが運営する障がい者のための職業訓練校の理容美容コースで学ぶ訓練生
卒業生全員が成功を収めるわけではないと思いますが、それでも学ぶ意味はありますか?
確かに全員が社会的に成功するわけではありません。しかし、ミャンマーでは障がいのある人を外に連れ出すこと自体をためらう家族が多く、それが本人のためだと考えられることもあります。ですから、家を離れて訓練校で学ぶことで、本人が自立して生きていく勇気と自信を得られるのです。スキルを身につけて少しでも収入が得られれば、家族の経済的負担も軽くなります。
支援に携わる中で、どんなときにやりがいを感じますか?
障がいのある人や被災者が私たちの支援によって成長し、前向きに生きていく姿を見ると、本当にうれしく、誇らしい気持ちになります。それが私にとってのやりがいであり、支援を続ける大きな原動力になっています。支援がその人の人生の希望につながるよう、できる限りの力を尽くしていきたいです。




