AAR Japan[難民を助ける会]は、パキスタンのハリプール郡とアボタバード郡にある8カ所の小学校で、インクルーシブ教育の普及に取り組んでいます。障がいの有無にかかわらず子どもたちが一緒に学べる環境を整えるには、行政や地域社会全体が組織的に変わっていく必要があります。パキスタン・イスラマバード事務所の職員ムザミール・イスラムが、政策に働きかける意義について報告します。

ハイバル・パフトゥンハー州の教育関係会合で発表するAAR職員のムザミール(左)=イスラマバードで2025年9月
私、ムザミールは2019年1月にAARに入職し、現在はインクルーシブ教育とアドボカシーを担当しています。9月12、13日にイスラマバードで行われた教育関係者の会合で、AARを代表してインクルーシブ教育について発表しました。
パキスタンでは連邦政府の下、各州が独自の教育政策を実施しています。当会が活動するハイバル・パフトゥンハー州は、独自の戦略計画[1]を2020年度から5年間実施してきました。9月の会合は、その実施状況や今後の計画について、州の教育関係者、開発援助団体、教育関係のNGOなどが話し合うものでした。
AARはパキスタンでインクルーシブ教育に取り組んで6年目です。教室の入口にスロープを付ける、バリアフリー・トイレの建設などハード面での整備に加え、教員研修や地域への働きかけに力を入れてきました。夏の真っ盛りに、障がいのある子どもを育てる地域のボランティアの方と一緒に障がい児たちの家を訪問し、就学を勧めてきました。こうした努力で、2019年から2025年8月までに138人の障がい児が新たに就学しています。
しかし、州全体では公立小学校が2万1,941校もあります[2]。AARは事業開始時から行政府を訪ね、政策を充実させるよう働きかけてきました。その甲斐があってか、2023年には両郡教育局にインクルーシブ教育担当官が設置され、計4人が活躍しています。また初等・中等教育局は2024年から、賃貸ビルに学校を設置する際、トイレとスロープに関するアクセシビリティ基準を導入しました。
9月の会合ではAARの取り組みを紹介し、州の現状の問題点や課題について指摘しました。例えば「学校のトイレ設置率は97%だが、車いす利用者が使えるトイレはほとんどない。点字や手話での教育もほぼ行われておらず、地域社会の障がい児への理解も十分とは言えない」などです。また「障がい児が学校に通い始めても、教師側に指導方法についての必要な知識がなく、教育効果が上げられていない」とも指摘しました。
これまでの会合では、インクルーシブ教育に関する発表はほとんどなく、私の発言には、他の障がい当事者団体からの質問やコメントが相次ぎました。州の初等・中等教育大臣や局長からも「次期の計画で、インクルーシブ教育への取り組みを一層強化する必要性を強調したい」などとコメントをもらいました。
私は幼少期から歩行が困難で、現在車いすを使っています。2010年に日本で実施されていた、障がい者向けの一年間のダスキンリーダーシップ研修プログラムに参加し、車いすの重要性、自立すること、自信を得ることの必要性を学びました。それから車いすを使用しています。パキスタンではまだ、障がい者が一線で働くことは少なく、当事者による発表はインパクトがあったようです。インクルーシブ教育への関心が一気に高まった印象でした。今後も同州の戦略計画でインクルーシブ教育に焦点が当てられるよう働きかけを続けます。

教育関連の会合後、記念撮影する左から州の初等・中等教育大臣、職員のムザミール、「障害と開発」の専門家でAARが会議に派遣した池田直人さん、AAR職員のシブハ。
私は、学校を訪れ、障がいのある子どもたちが他の子どもたちと共に学ぶ姿を見るたび、インクルージョン(包摂)に向けた長い闘いが本当に価値あるものだと感じます。真のインクルージョンは、政策立案者、教師、保護者の誰もが「障がいは子ども自身にあるのではなく、社会の障壁や態度から生じるのだ」と理解した時に、初めて実現します。私はそのために活動を続けていきます。AARの同僚と支援者の方々、インクルーシブ教育の取り組みを支えてくださる地域の教育関係者に深く感謝しています。
[1] Khyber Pakhtunkhwa Education Sector Plan 2020/21 – 2024/25
[2] Annual Statistical Report of Government Schools -Page 79
※この活動は皆さまからのご寄付に加え、外務省日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。

ムザミール・イスラムイスラマバード事務所
1987年生まれ。パキスタンのアボタバード郡出身。大学卒業後、JICAの障害者社会参加促進プロジェクト等に従事し、2010年ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業で1年間来日。二分脊椎症で足が不自由だったが、来日を機に車いすを使用するようになった。その後自ら障害当事者団体を設立、障害者の権利推進の活動を展開。2019年からAAR勤務。



