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スタッフ日記[国際協力の現場から]

戦時下のクリスマス:ウクライナ・ミコライウを歩いて

2025年12月22日

ロシア軍の侵攻から4年近くが経った今も、終わりの見えないウクライナ紛争。長引く戦時下で、人々はどのような日々を送っているのでしょうか。ウクライナ南部ミコライウ州を出張で訪れた東京事務局の紺野誠二が、現地で見た光景や出会った人々の言葉から、その実情をお伝えします。

コミュニティハウスの様子

AAR Japan[難民を助ける会]が支援する「コミュニティハウス」を利用する女性たち

支援者側に蓄積する疲労

ウクライナでは今も激しい戦闘が続き、毎月数百人の死傷者が生じています。比較的平穏が保たれているミコライウ州でも、前線に近い地域では、毎日のようにドローンによる攻撃が行われています。

悲惨な状況があまりにも長く続き、米国をはじめとする国際的支援も大幅に減っている現状から、私が会った人々は痛みやストレスからは逃げられないという、諦めや無力感に強く苛まれているようでした。抑うつや深い孤立感、突然のパニックなど多くの方が深刻な心の問題を抱え、支援の必要性は極めて高いはずですが、人々の間には心のサポートを受けることにすら抵抗感が出てきているようでした。

支援する側にもかなりの疲労が蓄積しています。協力団体のスタッフは、北関東を合わせたほどの広大な面積を持つミコライウ州を駆け回り、高齢者や障がい者に医薬品や装具などを届け続けています。しかし、彼ら自身もまた、軍事侵攻の影響を受けて苦しんでおり、過酷な状況の中で支援を続ける姿には、本当に頭が下がる思いでした。

ミコライウ市内

ミコライウ市内の街角

少しでもクリスマスに幸せを

「シェルターは地下にあります」。ホテルに到着して、フロントの女性が真っ先に案内したのは避難場所でした。旧ソ連時代に作られたシェルターが、再び人々の避難先となっていました。客室に入ると、「お客様へ。敵対行為により、ミコライウ市の水道水は料理や飲料としては使えません」との注意書きが置かれていました。

街では毎朝9時になると、出勤途中の人々は足を止め、軍事侵攻で亡くなられた人々を追悼します。ホテルの近くでは、男性がトランペットでウクライナの国歌を演奏していました。

いたるところでクリスマスの準備が進められていました。ウクライナでは、以前はロシアと同じく1月7日にクリスマスが祝われていましたが、2023年からは西側諸国と同じ12月25日に変更されています。停電が頻発するため、商店の前に置かれた発電機が大きな音を立てていますが、雑貨屋などでは可愛い飾り物が売られていました。戦禍や厳しい冬の中にあって、少しでもクリスマスの幸せを感じたいという、人々の切実な思いを見た気がしました。

戦時下の心を癒す憩いの場

ワークショップの様子

「コミュニティハウス」で開かれているワークショップ

AARが現地協力団体と協力して運営しているミコライウ市内の「コミュニティハウス」では、利用者の方々が私を温かく出迎えてくれました。ここでは、戦地となった故郷から逃れ避難生活を送る女性や高齢者、障がいのある方々が気軽に集まって話し合ったり、心理カウンセリングを受けたりすることができます。

女性グループが楽しそうに談笑していたので、「もっと気軽に足を運んでもらうにはどんな活動があるとよいと思いますか?」と尋ねてみました。すると、「絵を描いたり、編み物をしたり、簡単なエクササイズもいいですね」と次々にアイデアを出してくれました。一人が「歌もいいわ」と言うと、大きな合唱が始まりました。どこか懐かしい歌だと思ってよく聞いてみると、1963年に日本でヒットした、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」でした。

ここには、心身が傷ついていない人はいません。みんな、それぞれが、深い課題を抱えています。それでもこのひととき、戦争のストレスから解放されているようにも見えました。コミュニティハウスに来て、少しでも気分が軽くなり、日々を過ごす力になっているのなら、これに勝る喜びはありません。

ウクライナの置かれている状況は依然として厳しいままです。そのような中でも、人々の心の灯となるような活動を続けていきたい――。その思いを新たにしました。

紺野 誠二KONNO Seiji東京事務局

AARから英国の地雷除去NGO「ヘイロー・トラスト」に出向し、コソボで8カ月間、地雷・不発弾除去作業に従事。現在は地雷問題やパキスタン事業を担当

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