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会長・長有紀枝のブログ

困っている人を助けるのに、理由はいらない

2025年12月25日

    戦後80年、昭和100年ともいわれた2025年が暮れようとしています。国内外で、甚大な災害や紛争が続いた1年でした。皆様はどのような1年をお過ごしになられたでしょうか。

    本年1月に成立した米国のトランプ政権は、就任早々に米国際開発庁(USAID)を閉鎖、国務省などが所管する国際事業予算を次々に削減し、その削減額は、前年度比で8割に及ぶと伝えられます。結果は甚大で、世界中で国際協力関係の予算が大幅に減少し、世界の約1億2,300万人[1]もの紛争や迫害で家や故郷を追われた人々は、これまで以上に厳しい状況に追い込まれています。ぎりぎりのところで人々の命や生活をつないできた、数々のプロジェクトが大幅に縮小、あるいは中止され、援助機関においても職員の解雇や契約終了が続いているからです。

    こうした事態に言葉を失う一方で、米国の拠出金が世界の国際協力の約4割を占めていた、という事実に、これまでどれだけ世界が(資金を拠出する日本をはじめとする他のドナー国も)米国の予算に頼ってきたのか、ということにも衝撃を受けています。

    米国の予算削減は、他国にも大きな負の波及効果を招いているようです。主要ドナー国が「米国が削減するなら、我が国も」と言わんばかりの減額の申し出が続いているというのです。日本も例外ではありません。外務省は11月25日、三大感染症対策を主導する「世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバル・ファンド)」への拠出金を、前回(2022年、3年間で最大10億8,000万ドル)から半減させると発表しました[2]。この基金は、2000年に九州・沖縄で行われた主要8カ国(G8)サミットでの日本の発言をきっかけに設立されたもので、これまでに7,000万人[3]もの命を救うという成果を上げてきました。減額を予告していた米国が5.2%減にとどまったのに対し、日本の減額は大幅な円安の影響もあり、52%にも及びました。

    今回の決定については、同基金の運営に携わる日本国際交流センターから「他国と比して顕著に大きい減額率となる額を突如発表したことは、国際協調の場での日本に対する長年の信用を失墜させるもの」[4]との声が上がったほどでした。申し上げるまでもなく、こうした予算の削減は外務省の担当部局の判断、というより、外務省全体の予算の削減や、政府・政権による判断があったことと推察します。しかしながら、日本の国際社会の立ち位置から、こうした削減を米国追随と批判する声が届いているのも、また事実です。

    2025年は、冷戦後の1990年代に形作られた、米国が主導する人道援助・開発援助の枠組み(パラダイム)そのものが崩壊した年といえます。しかし、それでもなお2025年の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の最大の資金提供者は米国政府です。2位のEUの2.5倍、8億1,180万ドルを提供しています[5]。他方日本政府の貢献は世界12位、大きく減額したトランプ政権下の米国の、その10分の1にも満たない額です。米国政権が国際事業予算を大幅に削減したのは確かですが、日本がそれに準じていい訳ではない。いやむしろ今こそ、東日本大震災で世界中の国から支援を受けた国として貢献することが必要だと、強く訴えたいと思います。

    先日、ある取材で「『日本国内にも困っている人がたくさんいるのに、なぜ遠い外国の人へ手を差しのべるのか』と問われたら、どのようにこたえるか」と尋ねられました。実はこの問いは、AARの創立当初から折に触れ投げかけられてきたものです。さまざまな義務や責任の視点から、いくつかの回答が可能だと思います。道徳的義務や、途上国の貧困に対する先進国の責任論、発展が双方の利益になるという共通利益論、援助が先進国の産業にも寄与するといった国益論、さらには世界の安定が私たち自身の安全につながるという危機管理の視点などです。そのいずれもそれなりに説得力があると思う一方で、私は、支援をするのに特別な理由や理屈は必要ないとも考えます。

    日本初の国連難民高等弁務官として難民支援に奔走した緒方貞子さんが生前、「人間を助けるということが何より大事」であり、それは人間の「本能的な常識[6]」だと呼んだように。

    日本には「困ったときはお互いさま」という肩ひじはらない善意の伝統があります。46年前、AAR初代会長の相馬雪香は、この伝統を国境を越えて広げようとAARを創立しました。見ず知らずの人であっても、遠くにいる人であっても、困っている人を支えたい、支え合いたい、と願うのは、人としてのごく自然な思いではないでしょうか。

    緒方さんが2期10年務めた高等弁務官(第8代)の職を辞したのは、今からちょうど25年前、2000年の12月31日でした。現在のフィリッポ・グランディ高等弁務官(第11代)の後を継ぎ、来年1月からスタートする次期(第12代)弁務官としてバルハム・サレハ前イラク大統領が選出されました。サレハ氏はクルド人で、旧フセイン政権下で迫害を受けて海外に逃れ、イギリスで教育を受けた人物です。選出後の声明で「元難民として私は、保護や機会を与えられることが、どれだけ人生の進路を大きく変え得るか身をもって知っている」と述べました[7]

    相馬雪香初代会長も、満州からの引揚者でした。1990年代にイランの地震被災者支援をした折には、現地の新聞に「元難民が作った組織が我が国の難民を支援に来た」と報道されました。元難民が作ったNGOの会長として、この激動の10年難民支援に奔走されたグランディ弁務官に深い謝意を表しますとともに、サレハ氏の就任を心から歓迎したいと思います。

    現代は世界各地で難民排斥運動が起きるなど、分断が進み、自国ファーストの声が高まる時代です。だからこそ、自国や自民族を大切にする気持ちと同様に、他者を大切にする気持ちも人間に本来具わった「本能」であり、「常識」であることを思い起こしたいと思います。そして国際協力への予算削減を求める声のみならず、「米国追随」と誤解されかねない国際協力予算の大幅削減に、異を唱える世論・市民の声も同様にあることを、皆さんに、そして高市首相にお伝えしたいと思います。

    2026年が、国境を越えた助け合いや国際協力がごくごく「自然な営み」だと改めて認識される1年となりますように。皆さまのご多幸と、ご健勝をお祈りします。

    (12月26日加筆・修正)

    [1] 数字で見る難民情勢(2024年)
    [2] 外務省:グローバル・ファンド第8次増資期間に向けた我が国の貢献
    [3] The Global Fund:ウェブサイト
    [4] JCIE:国際援助削減傾向下における感染症対策国際基金「グローバルファンド」の増資について
    [5] UNHCR:Voluntary contributions | 2025
    [6] 「朝日新聞」2016年10月3日夕刊「人生の贈りもの 私の半生」
    [7] UNHCR:Statement by Dr. Barham Salih upon His Election as United Nations High Commissioner for Refugees

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